Categories: 政治・社会

「同盟」は従順になることではない

日本のマスコミの論調は、なにかとヒステリックだ。
政治の問題、新型インフルの問題、先の事業仕分けの問題、果ては芸能ネタでも、なにかと煽り立てなくては気が済まないらしい。

そんな記事のひとつ。

同盟の危機だって? 米大使館が新聞の普天間報道に呆れ顔(週刊文春) – Yahoo!ニュース

「米大使一変、激怒」(産経)、「米、同盟協議を延期」(読売)、「普天間暗礁 同盟に影」(朝日)など、米軍普天間飛行場の移設問題では左右両派の新聞が、「同盟が危ない」という同じ論陣を張り続けている。

ところが、これらの報道に、米大使館は呆れ顔という。

「『米大使一変、激怒』と産経は刺激的に書きましたが、そうした事実はまったくありません。われわれは外交官ですから」(米大使館関係者)

米外交筋によれば、米国では外交官が他国の批判をすることは固く禁じられているので、こういったことはあり得ないという。

芸能ニュースでスキャンダラスに報道する意図はわからないでもないが、冷静かつ客観的な報道が求められる政治のニュースでも、やってることが変わらない。
新聞を読む人が少なくなり、新聞社の経営も危うくなっていることとも関係しているのかもしれないが、注目を集めようとヒステリックになっている。誤報やねつ造も、その背景にあるのだろう。

そもそも「同盟」というのが、マスコミの論調からすれば、

同盟とは、相手に従順に従うこと

と、定義されているようだ。
対米追従がこれまでの日米同盟だったから、アメリカのいうことに従うことが「同盟」の基本になってしまった。

少しでも反論したり、アメリカの要求を満たさなかったりすると、「同盟の危機」になるらしい。
マスコミの価値観は、依然として昭和から脱していないのか?

いや、もっと昔の、江戸時代かもしれない。殿様に忠誠を誓い、必要とあらば命を差し出す侍だ。
サムライとカタカナで書いて、武士道的な美談を作り上げるのが好きな日本人だが、侍とは本来、主君のために命を差し出すものだ。従属するもので、自立するものではない。

アメリカは主君、日本はその家来たる侍……それが同盟。
マスコミのロジックは、そういうふうになっているようだ。

外交というのは「仲良くすること」ばかりではない。
むしろ、対立することの方が多い。

外交での交渉は、自分たちの主義主張を通し、自分たちの利益を最大限引き出すことだ。
日本人は、これが苦手だ。

なぁなぁで仲良く談合することを好む……別の言い方では「和を尊ぶ」ともいうが、予定調和的な「和」は外国には通じない。

アメリカのやり方は、対立する相手に対して、銃を突きつけたまま、
「暴力はいけない。話し合いで解決しよう。君が武器をおろせば、私も話を聞こう」
と、いいながらも、銃をおろすことはしない。

自分が不利になるようなことは、絶対にしないのだ。
これが外交だろう。
日本は率先して土下座してしまう。

マスコミの飼い犬みたいな姿勢が、情けない。

諌山 裕

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