ペットの葬儀屋

その夜は、Bチャンの様子が思わしくなかった。
数週間前から容態は悪化していて、入退院を繰り返していた。猫としては18歳という高齢であり、内臓も弱っていた。病院からもらった薬と、病院での点滴で、かろうじて保っていた。
私も妻も、先が長くないことを覚悟していた。
だが、それでも突然すぎる話だった。
長い年月をBチャンと過ごしてきたことから、いつも元気なBチャンがそこにいることが、当たり前になっていた。それがいなくなるなんてことは、考えられなかったのだ。
いずれ、その日が来ることはわかってはいても、それはもっと先のことだと思っていた。

しかし、現実は残酷だ。
数日前から容態はさらに悪化し、Bチャンは呼吸も辛そうで、食べることはまったくできなくなっていた。
時間の問題だった。
少しでも楽にさせてあげたいと、病院になん度も連れて行って、点滴を打ってもらった。そのため、Bチャンの前足には、点滴用の針が刺さったままで、そこに包帯を巻いていた。
焼け石に水なのはわかっていた。
なにもできないよりはマシ、という程度のものだった。

私は昨日は徹夜した。
気が気ではなかったのだ。
ときどき様子を見ると、息をするのも辛そうだった。
心肺機能が低下し、呼吸が荒いのだ。
朝になったら、病院に連れて行かなくてはいけないと思っていた。

体温は下がっていて、触るとあまり温かくなかった。
痩せて、骨のゴツゴツした手触りだった。
ぐったりと寝ているかと思うと、突然むっくりと起きあがって、場所を移動する。
どこへ行くのかと思うと、廊下の涼しいところに行って、ゴロンと横になった。

妻は寝ていた。ただし、寝室の明かりは点いたままだ。
私は廊下で寝ていたBチャンを抱いて、妻の寝ていた布団に連れて行く。
真ん中にBチャンを寝かせて、私も横になった。
虫の息のBチャンは、横になって伸ばした手を、妻の手に触れていた。
意図したわけではないだろうが、Bチャンがお別れのスキンシップをしているようにも見えた。
しばらくそうして私と妻の間で寝ていた。

Bチャンがむっくりと起きあがった。
どこかに行きたいらしい。
見守っていると、寝室から出て、別の部屋に行こうとしていた。
しかし、途中で立ち止まってしまった。
私は起きあがるとBチャンを抱き上げ、リビングの猫用座布団の置いてあるところまで連れて行った。
そこはお気に入りの場所でもあったのだ。

座布団の上でしばらく寝ていたが、ほどなく、また立ち上がった。
ヨロヨロと歩いて、今度はケージの中へと移動した。うちには大型のケージが2つある。それは病気になったときや、病猫食を食べさせるときに、他の猫から隔離するためのものだ。普段は入り口が開いていて、猫の部屋にもなっている。
猫は死ぬときに、死に場所を探すという。
Bチャンはケージに入ると、咳き込むような呼吸になり、体を痙攣させ始めた。

それは悲痛な瞬間だった。

私は大声を出した。
「おいっ!! Bチャンがダメそうだ!!」
寝室の妻から返事がない。
「おーいっ!! Bチャンがもうダメそうだよ! 早く来い!!」
妻が寝起きでフラフラしながらやってくる。
Bチャンは短い痙攣を繰り返していた。
オレは撫でてやる。
もう、なにもできることはない。
見守ってやるしか……

Bチャンは舌を出し、苦しそうだ。
呼吸がなん度か止まる。
ふっと、息を吹き返すが、弱々しい。

そして、完全に呼吸が止まった。

動かなくなったBチャン。
受け入れたくない現実。
悲しみよりも、安堵感があった。
もう、苦しまなくていいのだ。
しかし、喪失感もあった。
Bチャンは、二度と目覚めることはないのだ。

涙は出てこなかった。
まだ、実感がともなっていなかったのだ。
死んでしまったという、事実だけが目の前に転がっていた。

私も妻も、呆然としていたのだろう。
1時間くらい経って、昨晩から相談していた、ペット葬儀屋に電話することを思い出した。そのペット葬儀屋は24時間受付しているところだった。Bチャンを火葬にしてもらうのだ。

妻が電話した。
私は午前中は会社を休むことにして、午前中に引き取りをお願いした。
一段落して、妻は出勤の準備を始めていた。
日常の生活は、続けなくてはならないからだ。
できることなら、会社を休みたいところだが、締め日の仕事がある妻は、休むわけにはいかなかった。それは私も同様だが、午後から出社すればなんとかなる。

妻は出勤した。
私は葬儀屋が来るまで待機だ。11~12時くらいに来る予定だった。
寝ていなかったので、仮眠を取ることにした。
目覚ましを11時にセットして布団に入った。

11時前に、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
目覚めると、Bチャンが死んだという現実が、重い空気となってのしかかってきた。
私はこみ上げてくるものに堪えきれなくなって、泣いてしまった。
それは号泣だった。
悔しさと怒りと辛さが交じった、涙だった。
自分がこんなに泣いてしまうなんて、思ってもみなかった。
大声で泣いていた。
拳に力を入れ、つかめないものをつかむように。
失ったものの大切さ、取り戻せない空しさで、胸が張り裂けた。
妻がいたら、泣かなかっただろう。
独りだったことが、余計に空虚感を増幅した。

身近な者の死は、悲しい現実を再認識させる。
祖父が死んだとき、親友が死んだときにも、大きなショックを受けた。
だが、こんなに泣いたりはしなかった。まだ冷静に受け止められたのだ。
Bチャンは違った。
他人から見れば、たかが猫と思われるだろうが、その存在は私の人生の一部、体の一部となっていたのだ。
それが失われた。
この喪失感を、すぐには埋められない。

12時近くなって、葬儀屋さんから連絡が来た。
車を止める場所がないので、通りまで出てきてほしいということだった。
私はバスタオルにくるんだBチャンを、赤い箱に入れて、外に出た。
ワンボックスカーの車が止まっていて、それらしき人が声をかけてきた。
簡単な書類に氏名住所を記入して、Bチャンの亡骸を引き渡した。
お寺で火葬後、翌日の夜には遺骨を届けてくれるという。

自宅に戻って、しばらくは放心状態だった。
仕事に行かなくちゃ……
会社に電話を入れ、これから出ると連絡した。
重い足取りで、私は電車に乗ったのだった。

諌山 裕

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