仮想現実=バーチャル・リアリティ……という言葉は、一時期もてはやされたが、現在は死語とはいわないまでも「腐語」になりつつある。
夢見た仮想現実の世界が、いまだ実現できず、イメージばかりが先行したからだろう。アバターを使ったバーチャルな世界もあるが、自由度が乏しく限定的な「仮想現実」でしかない。
映画では「マトリックス」が、その世界を表現して見せた。マトリックス以降、マトリックス的手法がいろんな映画で模倣されるようになった。もっとも、マトリックスの原型となった「攻殻機動隊」の方が先行していたのだが、アニメであったために一部のマニアを除いて、リアルの世界に与える影響は少なかった。
さらに遡れば、W・ギブスンのSF小説「ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)」が電脳世界の先駆けだった。
故・黒丸 尚氏の絶妙な翻訳もあって、その後の電脳ものの原型とされた。
その作品中に登場した象徴的な言葉が、「没入(ジャック・イン)」
仮想世界に入るときの、決めゼリフのような言葉になった。
コンピュータの性能の飛躍的な向上もあって、仮想現実もより現実味を帯びてきたが、今現在の仮想現実はリアルと区別がつかないほど精巧な世界ではなく、デフォルメされた仮想とわかる仮想現実だ。
IT系の記事を読んでいると、「没入」という言葉を目にすることがある。
なんとも懐かしい響きがするが、その意味合いはギブスンの没入とは違っているようだ。
そんな記事が以下。
BizPlus:営業 連載企画:山崎 秀夫氏「Web2.0時代が演出するマーケティングトレンド」第41回「劇場映画『スタートレック』などに見る拡張現実感など『没入感覚』のマーケティング活用」
拡張現実感がマーケティングに活用され始めた。現在、既に実用化されている拡張現実感(オーグメンテッド・リアリティ)のマーケティング活用とは「パソコンやスマートフォーンなどの画面上に現実環境を表示してそこに仮想イメージを埋め込む技術」の事である。
メディアの歴史的転換点の到来に当たって企業は「没入感覚」のマーケティング活用を再び活発化させ始めている。しかし仮想社会サービスのセカンドライフを経験した多くの企業はいったん、挫折を味わった。だが多くの企業は感情的な要素の強い「没入感覚」の活用は生活者を囲い込むエンゲージメント型マーケティングにおいて効果があると考えている。
記事は長いので、詳細はリンク元を読んでもらいたい。
ここで取り上げられている「拡張現実感」は、技術としては新しいとは思うが、それほど「没入感覚」があるとは思えない。
この手法が成立するのは、「スタートレック」という世界観があってこそだからだ。このツールに没入しているのではなく、ファンはスタートレックの世界に「想像力で没入している」。
結局のところ、拡張現実を生み出しているのは、その人の脳の中であり、スタートレックの物語性である。きっかけとしてのツールではあるが、本質は映画の物語であり、古くからある物語が新しい技術で脚色されているにすぎない。
マーケティングツールとして、それが効果的かどうかは、対象となる商品(ここでは映画)に面白さや魅力がなければ、どんなにツールを駆使したところで、売り上げには貢献しないだろう。ツールだけが話題になって、商品が売れない、ということだってありえる。
と、そんな懸念をもっと具体的に書いている記事があった。
グーグル情報革命の崩壊|この一年の注目記事|新しい日本を創る提言誌 Voice+ ボイスプラス
結局、amazonをはじめ物販を主力とするネット上のサービスは、巨大なストレージ(倉庫)を運用しながら巨大な在庫を抱え、一方でランキングや消費動態から連想したお奨め商品を売れ筋から提示しており、通常店舗とほとんど同じ売り上げ方をしているのだ。
ネット発のキーワード、とりわけ「web2.0」と関連付けられた概念は、ことごとく「ネットで完結すればその通りだが、実際のビジネスで考えると想像以上にコストがかかる」ものばかりである。評論家の梅田望夫氏はその著書『ウェブ進化論』で、web2.0の本質を「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と語って一大旋風を巻き起こした。では実際に各社がその「web2.0」とやらを活用し、実際のビジネスにどう絡めていけば利益になるのか。その方法論は最後まで提示されなかった。
引用はページの途中からなので、最初のページから読んで欲しい。
この記事には同感で、ネットを駆使した広告や販売が活発になっている現在でも、「物」を売る以上は、物理的な販売経路は不可欠だ。音楽や電子書籍などのデータだけで完結する商品は、ネット上だけで完結するが、美味しいものを食べたい、新しいテレビが欲しい……となると、ネットだけでは完結しない。
物の授受が必要であるという点では、ネット以前の通信販売と変わらない。便利になったのは時間と手間の短縮、潜在的顧客が地理的な制約を受けないこと、決済の簡略化だ。最終的には、人の手によって商品が運ばれる。パソコンからポンッと商品が出てくるわけではないのだ。
そう考えると、ネットや「web2.0←もはや腐語」の恩恵を100%享受できるのは、アプリケーションやソフトなどのデータ化できる商品を扱う企業だけである。
しかし、それは生活の中では、ごく一部。
「web2.0」が幻想に終わったのは、生活や趣味に必要な商品の売買には適用できなかったからだともいえる。
また、データ化できる商品を扱っているはずの、テレビや新聞・雑誌などのメディアが、ネットを活かしたビジネスを展開して成果を上げられないのは、旧来の物理的売買に束縛されているからでもある。
たとえば、新聞なんかはネットで配信すれば、印刷や輸送のコストはかからないのだが、いまだに紙媒体としての新聞を売っている。データ化した記事を、効率よく売る方法を見つけられないからだ。
その方法を見つけられないうちに、ネット上の情報は「タダ」という常識ができあがってしまった。一度タダの味を覚えてしまったユーザーに、「これからは課金します」といっても、受け入れられないのは当然だ。
現状、大部分のニュース記事はネット上でタダで読めるのに、紙の新聞の存在意義がどこにあるのかわからなくなっている。ネット時代の黎明期に、手を打たなかったツケが回っているようなものだろう。
拡張現実や仮想社会といったツールは、今はまだ物珍しいから注目されているが、どれだけ定着するかは疑問だ。
バーチャルだけで完結する商品は限られているし、「物」の商品を売るには、最終的にはリアルに人と人とのコミュニケーションが必要だし、実物を手に取ってから購入したいと思うものだ。
個人的な経験では、あるスニーカーをネットで買ったのだが、実物が届いて後悔したことがある。色のイメージが違った、サイズが微妙に合わない……といったことがあり、靴はやっぱり店舗に行って実物を手にとって履いてみないと買えないと思った。
通販で初めての商品を買うときは、ある意味「一か八か」の賭の部分がある。それが楽しみのひとつでもあるのだが、はずしたときは痛い(^_^;)。無駄遣いしちゃった……ということになるからだ。
真の意味での「没入」の時代は、まだまだ先の未来の話である。