SF小説のサークル仲間と、毎月喫茶店で会って雑談する機会がある。
話題はほんとに雑談で、近況報告からSF談義の濃い話までいろいろだ。
そんな雑談の中で、それぞれの仕事に関する話になったとき、私がデザイナーの仕事をしていることで、デザインを考えるときはどうしているのか?……というような質問をされた。
で、私の答えは、
「反射神経で仕事するんだよ」
と、答えた。
ここでいう、デザインの仕事とは、私が勤めている会社内での話。
ひとことにデザインといってもピンキリだ。
世界的に注目を浴びるような傑出したデザインから、誰がデザインしたのかもわからない取るに足りないデザインまで。身のまわりにある「モノ」は、人が作ったのであれば、誰かがデザインしている。良し悪しには関係なく、それを作っている人がいる。
NHKの番組に「プロフェッショナル 仕事の流儀」というのがあるが、あの番組に出てくる真の意味でのプロフェッショナルな人たちの流儀には、いつも感銘を受けている。
登場する人たちの中には、いろんなジャンルのデザイナーの人も少なくないが、彼らが語る「プロ」としての考えかたには共感する。
私もそんな仕事をしたいものだと羨望したりもするが、そんなレベルの高い仕事ができる人は限られている。
会社に属している身としては、会社のレベルが仕事環境を決定する。
トップレベルの会社であれば、仕事の内容もトップレベルになる。トップレベルとは、そこで作られるものが世間から注目され、影響力を持ち、制作料的にも桁違いに高い報酬となるような仕事だ。たとえば、ロゴマーク1つで億円単位の仕事。
そして、それを誰が作ったかが明記され、デザイナーとして注目される。
ぶっちゃけ、私が勤める会社は下請けだ。出版社の下請け、印刷会社の下請け、下請けの下請け……、仕事を主導する立場にはなく、デザイナーとして知名度があるわけではない。
社内でデザインの方向性を決めるチーフデザイナーはいるが、その下で働く私にはオリジナリティとか斬新さとかは求められてはいない。
教材系の書籍や雑誌、業界誌などを作っているが、そこに求められるのは奇抜なデザインではなく無難なデザインだ。オリジナリティなどもない。言い方を変えれば、別の会社が作っても、大差のないものができるようなものだ。うちの会社にしかできない仕事……ではない。
結果、A社の書籍とB社の業界誌のデザインは、デザイン的には類型であり同じ手法が使われる。A社とB社は、業界がまったく違っているにも関わらず、似たようなものになってしまうのだ。
それがうちの会社のスタイルだといってしまえば、そうではあるのだが、デザインというのは対象となるものについての、コンセプトや目的、誰に向けたものかによってデザインの最適化が必要だ。それを抜きにして、いつものパターンで処理してしまうことに、私は違和感を持っている。
とはいえ、私に決定権はない。それが会社のやり方というのなら、「これは違うだろう」という疑問を押さえこみ、淡々と指示に従うまで。
そんなとき、深く考えることをやめ「反射神経で仕事をする」というわけだ。
これはある意味「楽」だ。
パターンにはめ込み、ここにこれがきたら、こうするという機械的な作業。
キャッチボールをするとき、ボールを投げ、飛んできたボールを無意識にキャッチする、それは反射神経で行う。イレギュラーのボールが飛んできても、体は勝手に反応する。それと同じように、デザイナーの反射神経で、デザインの構成要素を型にはめ込んでいく。実際、仕事をしているときは、何も考えてはいない。考えていないというと語弊があるが、深く考えないという意味で、条件反射的に手が勝手に動いている(^^)。作業は早い方だが、それは頭を悩ます必要がないからだ。
私的には、これはデザインではないと思っている。パズルのピースをはめ込んでいるだけだ。独創性や斬新さはなく、人に感銘を与えることもない。書店でその書籍を手に取った人が、「素晴らしいデザインだ」と思うこともないだろうし、「誰がデザインしたのだろう?」と思うこともない。
なにごともなく通り過ぎてしまうデザイン……そういうのが必要ではあるのだ。普通で癖のないデザインは、必要最小限の情報を伝え、意図した役割を果たせばいい。しかし、そのデザインによって売り上げが影響を受けることもないだろう。そもそもそういうデザインを採用するということは、ベストセラーを狙っているわけではない。類似した商品との差別化やヒット狙いがあれば、内容とともにデザインにも独創性を求めるものだ。
自分のしている仕事の限界が見えてしまう……というのは、ちょっと辛い(^^;)
かといって、自分に一流の仕事ができるなどという驕(おご)りはない。自分の能力の限界もわかっているつもりだが、それでももっといい仕事がしたいと思うものだ。
「いい仕事」といっても漠然としているが、人に感銘を与えるようなこと、注目を集めるようなこと、印象に残るようなこと、影響を与えるようなこと……そんな仕事だ。
なんだか、書こうと思っていたことと違う方向に話が進んでしまった(^^;)。
以下の記事に触発されて書き始めたのだが……
「有能な部下はいらない!」上司の嫉妬と出世欲:日経ビジネスオンライン
男の嫉妬は本当に、怖い。いや、実際には男・女は関係ないのだろうが、それでもやはり男の嫉妬の深さと、いやらしさを痛感することの方が多いように思う。だって男の嫉妬の多くは、いわゆる「出世」ってヤツに絡む、けっこう醜いものがあるわけで…。そもそも嫉妬という字は、なぜどちらも「女偏」なんだ? どっちか1つでもいいから、「男偏」に変えたっていいじゃぁないか、などと本気で思ってしまうのである。
(中略)
自分よりも上の他者を破壊しようとする、後ろ向きで未熟な嫉妬心は、エンビー型嫉妬と呼ばれている。
(中略)
ただ、嫉妬は嫉妬でも、いい嫉妬、組織に必要な嫉妬もある。
これは前述のエンビー型嫉妬に対し、ジェラシー型嫉妬と呼ばれている。ジェラシー型嫉妬は、「あの人のようになりたい」「あの人には負けたくない」と、相手をライバル視することで、自分の能力を伸ばそうとする人間を成長させるポジティブな感情だ。
なるほどと思った。というか、そうだよなーと、思い当たる節があったからだ。
男の嫉妬が「出世」とか「仕事」に関することだけではなく、そこに「女性」のことも絡むと、もっと複雑だよね。
ある日のこと。
喫煙者がタバコを吸うための場所が、裏口のテラスにあるのだが、そこでタバコを吸っていると、上司のY氏がタバコを吸いに来た。
で、タバコを吸っていると、Y氏にいわれた。
「●●部の人と勝手に話をしてはダメだ」
一瞬、なんのことかわからなかった。
話って?……と、テラスに出てくる前に、●●部のHさん(女性)とすれ違って、二言三言会話を交わしていた。挨拶程度のことである。ほかに●●部の人と、話をしたわけではないし、そもそも●●部の人とはあまり話をする機会はない。
そこでピンッときた。
Y氏はHさんのことをいっているのだと。
Y氏とHさんは、ランチを一緒に食べに行ったり、徹夜で一緒に仕事をしたり、帰りに一緒に帰ったりもする親密な仲だ。
どうやら、私がHさんと会話をしたことが気に入らないらしい(^^;)
Y氏は上司であり、チーフデザイナーであり、私はY氏の指示に従って仕事をしている。以前、デザインについて議論したことがあったのだが、私とY氏のデザイン観は相容れない180度違うものだというのがわかった。
以来、Y氏の仕事の進め方に対して、異論をはさむことはしなくなった。
私はY氏のやり方に合わせることにした。
そこに、Hさんのことで嫉妬されているらしい。ちょっと言葉をかけただけだというのに(^^;)
Y氏に疎まれているように感じていたのは、そういう伏線もあったのかもしれない。
私は思った。
(Hさんはあんたの女かい? そういうことなのか?)
その後、私はHさんに話しかけるのをやめた。極力、すれ違うこともさけるようにしている。
社内の人間関係は、なにかと複雑だ。面白くもあるのだが(^^)。