この人、やっぱり書いたか……と思った。
「最近の若者=キレるという発想の危うさ」で、取り上げた松村氏の、アキバ事件に対する記事。
また、同じ論点のはき違えをしている。
秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない / SAFETY JAPAN [松村 喜秀氏] / 日経BP社
ところが、いつのころからか、オタクやゲーム、アニメの街になってしまった。それを最新文化を取り込む秋葉原の魅力だという人もいるが、わたしには異常なこととしか思えない。
(中略)
知性や感性を磨く子どもの時期に、夜遅くまでゲームに浸り、長じてアダルトゲームやメイド喫茶にはまっているような若者が増えるようでは、ますます常軌を逸した通り魔事件が増えてしまわないか。
コメント欄やトラックバックでも、松村氏に対する多数の批判が書かれている。あえて私が書くまでもないのだが……。
松村氏は自分が正しいと思っている。自分こそが正義だと。
したがって、松村氏が理解できないこと、異常だと思うことは、すべて「悪」なのだろう。
理解できないものを「排除」する。氏の主張はそこに行き着く。
ロジックが単純で極端だが、賛同者を得やすいのが、松村氏のような人たちの「声」でもある。なまじ影響力や発言力の背景があるだけに、氏のような主張を掲げられると世の中を扇動できてしまうのが恐い。
だが、他者を理解しようとしない、理解できない、という点において、松村氏とアキバ事件の犯人は同類なのだ。
自分のものの見方や価値観が絶対であり、その範疇でしか人や物事を判断できない。
犯人はナイフを振るったが、松村氏は言葉を振るって罪なきゲームファンやアニメファン、そして若者たちを傷つけている。
その類似性に気がつかないことが情けない。
偏狭なものの考え方こそ、あらゆる犯罪の根源ではないのか?
松村氏の考え方こそが「危険」なのだ。
とはいえ、そういう考えかたの人になにをいっても、馬耳東風なのも事実。
それもまた、アキバ事件の犯人と同類である。