下書き状態になっていた記事を復活させよう(^_^;

 マンガとアニメは、日本の文化的輸出品の目玉だともてはやされている。
 過去はそうだったかもしれないが、これからはどうかは疑問だ。

 36年ほど前にアニメ業界の端っこで仕事をしていた者として、過酷なアニメ労働のことはこのブログでも書いた。
 当時は、末端のアニメーターは使い捨てだった。満足に生活できない低賃金と長時間労働で、10人の新人アニメーターを雇っても、半年以内に7割は辞めていた。若い才能を育てるのではなく、使えるだけ使ってポイ捨てだった。いなくなったら補充すればよかったからだ。だから、人の出入りが激しかった。
 アニメ会社のすべてがそうだったわけではないだろうが、下請けのアニメ会社はひどい状況だったのだ。

 では、漫画家はどうだろうか?
 雑誌が行う新人賞に応募して、賞を取るとめでたくデビュー……というのが、多くのパターンだろう。
 これは小説でも同様だ。
 新人賞は雑誌の数だけあるといってもいい。漫画の場合には、年に数回実施しているところもある。
 そこから出てきた新人の数は、年間数十人はいるだろう。
 しかし数年後に、活躍を続けている漫画家の数は少ない。消えてしまう新人がほとんどだからだ。
 漫画家としてデビューすることは簡単でも、漫画家として食べていくことは難しい。
 小説家でもそれは同じで、数ある新人賞でなにがしか賞を取ると、とりあえずデビュー作というのは出版される。しかし、次が続かない。
 作家として食べていくためには、コンスタントに出版しなくては収入にはならないからだ。

 食えない一つの原因は、原稿料が安いことなのだ。
 私はかつて、某マイナーな雑誌(出版社としては有名。アニメ化もされた超ヒット作を出したところでもある)に、16ページの漫画作品を描いたことがある(^_^)
 それは新人賞とかではなく、たまたま編集さんが同人誌での私の作品に目をとめて、描いてみないかと声をかけてくれたのだ。
 かれこれ31年くらい前の話だが、当時の1ページの原稿料は5000円だった。つまり、16ページで8万円である。制作に要した時間はネームの打ち合わせから完成まで、ほぼ2カ月。緻密な絵を描いていたので、作画だけでもかなりの日数を要した。
 フルタイムではなかったから、一概にはいえないが、2カ月・8万円では漫画だけでは食っていけない。
 漫画家として食えるようになるには、連載を持つこと、単行本を定期的に出すことが条件になる。そこまでたどり着く人というのは、必然的に限られてしまう。

 アニメーターや漫画家、小説家の新人の置かれている立場は、きわめて過酷で不遇だ。その苦境を乗り越えた者が、第一線で活躍する人へとのし上がっていく。切磋琢磨するということでは、ある種のフィルターにもなっているが、コンテンツ産業として見た場合には、人材が育たないことになってしまう。

 記事として古いが、参考までに以下を。

墓穴を掘る日本コンテンツ–北米のアニメ・マンガ事情が語るもの:コラム – CNET Japan

 しかし、NYAFの一般公開に先駆けて6日に開催されたビジネスカンファレンスの雰囲気は硬く、かなり深刻な発言が飛び交った。後述するようにmanga(マンガ)が急速に若年層を中心に普及し、一般社会でも認知が高まる中、先行して市場を築いたanime(アニメ)が失速したままだからだ。この状況を指してある大手エンターテインメント流通事業会社の代表から「日本は終わった」「(発祥の地、日本では)mangaも死につつある(ゆえに、米国市場もすぐに落ち込むのではないか)」といった過激な言葉も飛び出し、今後の米国市場の将来を危惧する気持ちがうかがえた。

(中略)

 一般にはあまり知られていないかもしれないが、現在、北米ではmanga旋風が吹き荒れている。comicでも、graphic novelでもなく、manga(いわゆるアメコミとは区分して、日本発の右開きのgraphic novelを特にmangaと呼んでいる)なのだ。

 もう一つ、別の記事から。

「クレヨンしんちゃん」盗作疑惑の背景に見えてくるもの (中国”動漫”新人類):NBonline(日経ビジネス オンライン)

 中国のテレビ局も、また日本のテレビ局も、なぜ高い値段でアニメ放映権を取得する、すなわち高い値段でアニメを購入するということをしないのだろう。私はアニメ界に関しては全く何も知らないので、そのメカニズムはよく分からないが、真にアニメ制作者を保護したいと思うのなら、どう考えても、ここを解決すべきではないのかと思う。

 日中両国とも、もしアニメを重んじるなら、アニメ制作者側の、特に末端関係者の処遇を改善することに重点を置かなければ、両国ともに悪循環を生産していくように思われてならない。

 視点と論点が違うが、日本のコンテンツ産業に対する危機感では共通している。

 その昔、日本の漫画をアメリカで出版を始めた草創期の頃は、アメリカ式にページのめくりを左開きにするため、マンガを左右反転させていた。書き文字も英語に翻訳するため、それ専門の職人がいて、紙焼き(複写して写真のように印画紙に焼きつけたもの)された漫画原稿に手を加えていた。仕事で多少関わっていて、その英語化された書き文字が、見事に絵の中に組み込まれているのに感心したものだ。
 それが現在では、セリフを英語にするだけで、ストレートに出版されるようになっている。ずいぶんと変わったものである。
 海外のマンガ同人誌なども多く、そこに登場している絵は、まさしく「マンガ」になっていて、アメコミではなくなった。
 つまり、描き手が育っているということで、日本産マンガではなく、アメリカ産マンガも登場できるような下地ができていることになる。

 マンガもアニメも、日本独自のコンテンツとはいえなくなる日が、遠からず訪れそうである。
 最近では、日本の高校や大学で、マンガやアニメの学科を作るところも出てきたようだ。それはそれで喜ばしいことではあるが、その学科を卒業したからといって、漫画家やアニメーターとして食べていくことは難しい。36年前に比べれば、多少は待遇改善がされているものの、一般的なサラリーマンに比べたら、格差は歴然としている。そういう状況では、人材は定着しないし育たないだろう。
 前途はけっして明るくないと思う。

諌山 裕

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