Jean-Louis SERVAISによるPixabayからの画像

 エコの話題はときどき書いているが、いろいろと矛盾を感じることが多い。
 温暖化のことが大きな問題になり、エコといえば温暖化ガスの排出量が最優先事項にされている。経済でも排出権の売買というビジネスまで登場した。

 電力会社は、原子力発電で問題が多発していることもあって、稼働率を上げられず、他の発電方法で電力をカバーするために、排出権を大量に買う計画を立てている。
 それが、ほんとうにエコなのだろうか?

 関連する記事を読んでいて、勉強になる記事があった。それが以下。
 ここの抜粋だけでは、わかりにくいと思うので、全文をリン先から読んでいただきたい。
WIRED VISION / 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」 / コースの定理と経済学のクールさ 

 経済学者・柴田弘文は、「一般均衡モデルで考えるなら、コースの定理の結論が成立しないほうが自然である」ということを示した[*4]。「一般均衡モデル」というのは、社会を一つの「閉じた箱庭」と見なしたモデルのことだ。「箱庭」だから、その世界では、生産も交換も消費も、すべてが余すところなくモデルの内部で完全に描写されている。すなわち、経済を営むすべての人や企業について、彼らが最初に持っている資源をきちんと明示し、それらの資源を彼らがどう生産に活かし、取引し、消費するか、それらを徹底的な合理性の下で漏れなく記述したものなのだ。(ちなみに前回に「コースの定理」として紹介したモデルは、工場や漁民が得た金銭をどう消費するかを描いていないので、一般均衡モデルではない)。

 なるほど、こういう発想もあるのだと、目から鱗が……である。
 これを読んで思ったことは、温暖化問題でいう排出量うんぬんというのは、「コースの定理」ではないのか、ということ。限定された条件の中で、温暖化ガスだけを対象としていて、それ以外の環境にかかる負荷を除外している。

 たとえば、原子力発電。
 二酸化炭素は出さなくても、放射性廃棄物は出る。温暖化の問題では、放射性廃棄物は蚊帳の外だ。
 環境のことを総体的に考えるならば、環境に負荷のかかるものは、すべからく計算に入れるべきだろう。そう考えたとき、二酸化炭素の排出量だけでは、エコを考えることにはならない。
 もっと、環境全体にかかる影響を定量的に比較することが必要なのではないか?
 それを、計算する方法に「環境負荷係数」というのがある。
(詳しくは、環境管理と環境会計の課題と解決策としての環境影響評価手法/新日本環境品質研究所を参照)

 こういう手法があるのに、エコ問題で環境負荷係数から導かれる、総体的な影響評価の数値や話は出てこない。
 高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)は、1本が500kgで、年間約1,100~1,500本(550~750トン)出てくるという。
 仮に50万トン※の二酸化炭素を削減するために、1トンの放射性廃棄物が出てくるとしたら、環境負荷は総体でいくらになるのか? 同様のことを水力発電、火力発電等で比較するとどうなるのか? それが知りたい。

※2002年8月から2003年3月までに、東京電力(株)が停止した原子力発電の代替電源として利用した火力発電所から排出された二酸化炭素の量は約2,000万トンと見込まれ、同期間における我が国全体の二酸化炭素排出量の約2%となると考えられています。
……内閣府/原子力委員会の2003年の資料より

 

諌山 裕

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