ハリウッド版『GODZILLA』を、初日の25日(金)の夜に観てきた。
ハリウッド版としては2作目になる。エメリッヒ版はゴジラというよりは恐竜映画だったが、ギャレス・エドワーズ監督作は期待を裏切らなかった。
観る価値はあり。
怖さがあり、迫力もある。
なにより「映画」として成立していた。
絶賛……とはいえないが、予告編で抱いた期待は満たしてくれた。
初代ゴジラ(1954年)は、私はまだ生まれていなかったし、大人になってテレビやビデオで観た口だ。当時の技術としてはすごいことだったのだろうが、のちの時代に観ているので、特撮がちゃちなのに迫力を感じなかった。子どもの頃に観ていたゴジラシリーズは、お子様路線になっていたので、テレビのウルトラマンなどの延長線にある怪獣映画だった。
その後のゴジラ映画は、技術的にはあまり進歩がなく、ストーリーは破綻しているし、変なギャグはあるしで、あら探しをして笑いのネタにするような作品だった。職人芸の特撮というか特技は、日本的ではあっても、時代には取り残されている気がしていた。
それがゴジラらしいといえば、そのとおりなのだが、SF好きの仲間たちと談笑するときには、笑い話にしかならないのも事実だった。
しかし、子ども心に、強烈な存在感を放っていたことも確かだ。家にはゴジラのオモチャが転がっていたし、ゴジラがきっかけで、恐竜好きになったりもした。ゴジラのオモチャは、比較的新しいものが今現在もわが家に転がっている(笑)。それはうちの彼女が買ったもので、彼女もまたゴジラに感化されたひとりなのだ。
というわけで、彼女とともに、新作『GODZILLA』を観た。
とりあえず、ゴジラだから、観ておかないと……という気持ちだ。
正直に言えば、それほど大きな期待はしていなかった(笑)。
だが、いい意味で期待を上回る映画になっていた。
以下、ネタバレもあるので、未見の方は要注意。
とはいうものの、Wikipediaにはあらすじが書かれているが。
導入部は、地中に埋もれた巨大な化石が登場する。
謎のものが発見されるというシチュエーションは、この手の映画の定番ではあるが、既視感があることは否めない。
この発掘現場で、もうひとつの怪獣「ムートー」の存在が明らかになる。
ゴジラが登場するのは中盤以降で、それまでは「ムートー」を中心に話が進む。
この映画は「怖い」シーンがいくつかある。
原発のメルトダウン、崩壊する原発。
巨大なゴジラが海から出現するときに、大津波が発生するシーン。
サンフランシスコで暴れるゴジラとムートーにより、崩壊する高層ビルのシーン。
それらは、東日本大震災やアメリカの911を連想させる……というより、それを念頭に置いた描写だろう。近年、私たちが目の当たりにした惨事の記憶と重なって、フィクションのシーンがリアルに感じられる。
その描写が特撮とはいえ、あまりにリアルなので、怖さが増していた。
ゴジラは怪獣というより、巨大台風や竜巻、あるいは巨大地震のような、自然災害的な扱いだ。
GODZILLAは、とてつもなく巨大だ。
設定上は、108メートル、9万トンだが、その巨大感をうまく表現していた。
その圧巻の姿を見ると、ゾクゾクするほどしびれる。リアルなゴジラを、初めて見たような気分だ。
10歳以下の子どもが観たら、かなり恐怖を感じるのではないだろうか? 私が映画館に行ったのは、夜遅い上映だったから大人ばかりだったが、家族連れで行く場合には、小さい子どもは怖がってしまうかもしれない。
また、怪獣の怖さだけでなく、びっくり箱的な演出もあって、不意打ちでビックリさせられるシーンもある。
物語の主人公は軍人の若者なのだが、ほとんど太刀打ちできない軍隊でも、英雄的に戦う姿はアメリカ人の好みというか、じつにアメリカ的だね。
とにかく、たくさんの人が犠牲になる。それも、なすすべがなく、一瞬のうちに。
ある意味、パニック映画、災害映画でもあるので、無慈悲に容赦なく人々は死んでいく。
そこに別の怖さを感じる。
物語の終盤は、ゴジラとムートーのバトルシーンになる。
ミニチュアのセットではない、リアルなCGによるバトルシーンは圧巻だ。破壊される都市は、ものの見事に瓦礫になるし、小さな人間は右往左往するばかり。
苦言をいえば、戦い方にやや意外性が乏しく、あっさり決着がついてしまったこと。
前半部分の恐怖感は見応えがあったのに比べて、終盤は物足りなかった。ラストシーンは、続編を意識してのものかもしれないが、ちょっと拍子抜け。
監督は、初代ゴジラへのオマージュといっていたが、その言葉に恥じない作品にはなっていると思う。
残念なのは、そういう映画をハリウッドが作ってしまったこと。逆にいうと、日本では作れなかったゴジラということもできる。
ともあれ、観て損はない。