なんだか最近、泣けるCMが多くなった気がする。
ドラマ仕立てで、ショートムービーのような作品だ。
昔からそういうCMはあるにはあったが、長尺のCMは少なかった。
共通しているのは、なんのCMなのか、最後にわかるという作り方。社名や商品名をくどいくらい見せるCMではなく、見ている人に共感を誘う作品になっている。
共通しているのは「家族」あるいは「友人・恋人」
つまりは、人間関係の中でも重要な、愛情や友情がテーマだ。当たり前といえば当たり前なのだが、なにかと人間関係が希薄になってきたといわれる最近の社会の中で、あらためて見直そうとしているようにも思える。
ネットやスマホで、簡単に「つながれる」ような状況の中でも、やっぱり人と人が面と向かって、気持ちをぶつけあったり、触れあったりすることは原点だろう。
仕事や人間関係がデジタル的に急速に進行してきて、質より量、スピードアップで時間と手間を短縮、もっと速く、もっと広く、もっと成長、もっとグローバルに……と急かされる。パソコンやスマホの処理能力が飛躍的に向上しても、人間の能力は昔と大差ない。
CMでこのような情感的な作品を作るようになったのは、ある意味、原点回帰なのかもしれない。
売れよ買えよ、新製品だ流行だ、大安売りだ、走れ、走れ、突き進め!……というのが、高度成長時代やバブル時代だった。
感動的なCMといえども、広告には違いない。その広告には、企業の思惑がある。
商品を宣伝したいのか、イメージを宣伝したいのかの違いはあるが、物欲などの欲求を刺激するか、感動という共感を刺激するか。
CMとわかっていながらも、やっぱり感動してしまうのだ。
物語性の高い作品は、CMであることを忘れさせる。
もうひとつ、感動CMに欠かせない要素がある。
それは「音楽」だ。
音楽が感動を増幅させる。上に並べたCM動画のうち、1番目のピアノのCMや最後の車のCMでは、音楽が効果的に使われている。
映画にもいえることだが、感動作には感動的な音楽がつけられている。「アナと雪の女王」がそうであったように。
物語と音楽が絶妙にマッチしたとき、感動は生まれる。
興味のあるテレビ番組はHDDレコーダーで録画して、あとで見る習慣がついているので、CMは基本的にスキップして飛ばす。
だが、ここに例として挙げたようなCMだったら、じっくり見てしまう。
商品告知のためのCMも必要ではあるが、リモコンのスキップボタンを押すのをためらってしまうような、面白くて感動的なCMを、もっといろいろと見せてもらいたい。涙腺がゆるむような物語だけでなく、大笑いしてしまう物語だってできるはずだ。
感動を刺激するCM
それがCMのトレンドなのかもしれない。