WIRED VOL.39「THE WORLD IN 2021」を読んで

「未来」を予想するのは難しい。
しかし、未来を想像することで、未来への道筋が見えてくることもある。
「2021年から未来を展望する」をテーマとしたWIREDを読んだ。
その感想など。長い記事になります(^_^)b

史上もっとも偉大な科学予測:雑誌『WIRED』日本版VOL.39の発売に際して、編集長から読者の皆さんへ | WIRED.jp

「未来というものには二つある。それは願望の未来(the future of desire)と宿命の未来(the future of fate)だ」

この青年、ジョン・デスモンド・バナールは、時代精神を溌剌と体現する若き科学者として、人間の理性と科学の合理性の先に、宿命的未来を大胆に予測してみせる──人間は機械と融合して生物としての限界を超え、宇宙へと進出してスペースコロニーに暮らし、すべての脳がつながった超個体へと進化する。その制約であり敵となる物理世界(=宇宙)、生物学的構造(=肉体)、不完全な精神(=悪魔)を人類は超えていく、というわけだ。

本書は、SFの大家アーサー・C・クラークによって「史上もっとも偉大な科学的予測の試み」と評された。レイ・カーツワイルの大著『シンギュラリティは近い』ですら、本書をコピペした(が言い過ぎなら、肉付けした)だけかと思えることに、ぼくは安堵とも失望ともいえる感情を抱く。つまりこういうことだ。人類の未来予測が100年変わらないのなら、それはバナールの予測が必然だったからなのか? あるいは、ただ願望のままであり続けるからだろうか?

WIRED VOL.39「THE WORLD IN 2021」

EDITOR’S LETTER / 史上もっとも偉大な科学予測

序文にある……
「未来というものには二つある。それは願望の未来(the future of desire)と宿命の未来(the future of fate)だ」
……は、面白い。
しかし、現実はどうなっているかというと、そのどちらでもないと思う。
そこに、私はもうひとつの未来像を提示したい。

「惰性の未来」だ。

たとえるなら、願望の未来は意図した目的地に飛ぶことができる飛行機のようなもの。
宿命の未来は、敷かれたレールの上を走る電車のようなもの。
そして、惰性の未来は、紙飛行機のようにどこに飛ぶかわからず、風まかせ、運まかせの惰性で飛んでいく。10メートル飛ばそうとしても、途中で失速して2メートルで落ちるかもしれず、まっすく飛ばしたつもりが、くるりと反転して後方に飛んでしまうこともある。
それが実際にやってくる未来だろう。

「よりよい未来」は理想ではあるが、様々な分岐点において、必ずしも最善の選択をしてきたわけではない。
戦争が最たるものだが、未来の野望のために戦争を選択してきたのが過去の歴史だ。しかし、それは望んだ未来への道ではなく、最悪の未来を招いた。
科学が発展し、新しい発見や発明が、未来を作る基礎となる。
しかし、ここでも選択がいつも最善とは限らない。

様々な技術革新が起こるが、優れた技術やアイデアがいつも採用されるわけではない。ある競合する技術がある場合、優れた方が生き残るのではなく、技術的には劣るがマーケティングの優れた方が生き残り標準化されたりもする。もっといえば、商売上手な企業の技術が生き残る。金が流れる方に未来は惰性で流れていく。

TECHNOLOGY / AIの進化が、わたしたちの社会を一変させる

AIアシスタント

21年にはより多くのAIアシスタントが、人間が最小限しか介入しなくても自分で自分を訓練できるようになっているだろう。これはAIが概念を学び、常識を獲得し、最終的には人間のように論理的に考えるようにすることを目指すわれわれの道のりにおいて、飛躍的前進となる。

……というのだが、ディープラーニングを積み重ねていけば、コンピュータは「考える」ようになるのだろうか?
私は、そこに疑問がある。
膨大なデータにラベルをつけ、質問と答えを結びつけていっても、それは正解とは限らず、そもそも正解がひとつではない質問に答えを出せるだろうか?
無数にある選択肢からひとつを選び出すのは、最大公約数ではあっても正解とは限らない。
AIの出す答えは、多数決の答えにならないか?
AIアシスタントとしては、それで十分なのかもしれないが。

デジタルアイデンティティ

独自のデジタルペルソナを作成するためのコンピュータ技術を備えた「パーソナル・データ・アカウント(PDA)という技術を開発している。

(中略)

デジタルテクノロジーの支配がますます進む社会では、一般市民が自分のアイデンティティを所有および検証(または、アイデンティティ情報を提供せずにCOVID-19のリスクスコアを入手)できるようになることが、公平な競争とより平等な未来の実現となるのだ。

理念としてはわかる。
しかし、個人データを個人が適切に管理できるだろうか?
誰もがコンピュータ詳しいわけではなく、PDAのツールがあっても使いこなせないのでは? そこは教育ということでもあるが、なかなか難しいように思う。

それよりも、あらゆる個人データをデジタルで、ネット上で管理し使用することのリスクは常にある。度々起こる個人情報の漏洩は今後も起きるだろうし、そのデータを個人が所有していれば、すべては自己責任ということになってしまう。

PDAが普及し、生き残るかどうかは、巨大IT企業とのパワーバランスが作用する。冒頭で書いたように、優れた技術が生き残るとは限らない。金の力であったり、政治の力であったりで、紙飛行機は思い通りには飛ばない。

AIと数学

21年には、数学的な物語を書くことができる最初のアルゴリズム、あるいは少なくともそれに近いものが出現する

かなり楽観的な展望だな。
前にも書いたが、AIを過大評価しすぎているように感じる。
膨大なデータを詰め込み、膨大な計算(コンピュータにとっては短時間)をさせれば、今までにない数学的な物語が出力されるのだろうか?
なんとなく、古代〜中世の錬金術のように思える。

デジタル技術全般にいえることだが、すべてをデジタル化してしまうと、便利ではあるが脆さにもなる。
電気があってのコンピュータでありデジタル技術だ。
大規模な太陽嵐でハイテク社会は崩壊する」で触れたように、太陽のくしゃみでデジタル社会は突然死するリスクがある。この地球規模の災害に対する備えは、何もないに等しい。
あらゆるデータが……個人情報や資産など……消失したとき、世界はどうなるだろうか?

SCIENCE / 遺伝子から宇宙空間まで、人類はさらなる謎の解明に迫る

人工光合成で水素と酸素を生成する
……というのは、理想的なエネルギー源になりそうだ。人工光合成のアイデアそのものは、かなり前からあるが、当ブログで取り上げたのは2011年。それから9年経っても実用的なレベルには達していない。なぜ、もっと積極的に取り組まないのかといえば、既得権益の圧力だったり、政治的思惑だったり、優れた技術があっても発展しないことの一例でもある。
結局、経済が世界を回しているので、将来性はあっても、今すぐ金にならない新技術はなかなか浸透しない。石油の方が安上がりというのもある。理想だけでは現実は変われない。

1万2000基の衛星で構成されるメガコンステレーションで、世界中にブロードバンドサービスを提供する
それが今までネット環境がなかった地域の恩恵になるという。ネット格差というか、情報格差を多少は埋めることになるのかもしれない。
とはいえ、スペースX社は、社会貢献としてその事業をやっているわけではなく、25億人ともいわれる新たな顧客を得るビジネスでもある。宇宙からのプラットフォームを握ることにもなり、Sが加わってGAFASになれば、ますます巨大企業が市場を寡占してしまうのではないか?

人工衛星の設計寿命は、ものによって違うが、7〜15年程度とされている。スターリンク衛星は高度550kmの低軌道を飛んでいるため、静止衛星よりも寿命は短いと思われる。高度が低いと軌道高度を保つのが難しくなるためだ。衛星の寿命が尽きたら大気圏に落として焼却処分しないと、デブリ(宇宙ゴミ)になってしまう。10〜15年後、故障したスターリンク衛星が大量のデブリになって、やっかいな問題になりそうな気がする。

培養されて人体に移植される人工臓器
これは実現性としては高い技術だと思う。体の一部を機械で補うサイボーグは、人工臓器の可能性がなかった時代に生まれた発想だった。現在は皮膚などの一部に限られているが、もっと複雑な心臓などの臓器、さらには手足などの再生までできるようになれば、体のパーツは交換可能な未来が来る。

この技術の将来性は高いが、関連技術としてクローン技術にもつながる。故人の細胞からクローン人間を作ることは、理論的には可能。動物実験ではクローンは作られているが、倫理的な問題を差し置いて、いずれ人間のクローンを作ることは必然だろうと思う。
クローンは一卵性双生児と遺伝子的には同じだが、自然か人工かの違い。
社会はそれをどう受け入れるか?

嗅覚インターフェイスが、タッチスクリーンに取って代わる
人間の五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち、デジタル化されているのは視覚と聴覚だけ。映像と音は、もともと光と音の信号であるため、記録するのも再現するのは容易だったというのが理由だ。
しかし、触覚、味覚、嗅覚は物理的・化学的反応であるため、デジタル化しにくいものだ。
その嗅覚インターフェイスが普及するという予想なのだが、医療分野などはありかもしれないが、一般にはどうかなと思う。

香りの違いは、嗅覚細胞にある400種類のレセプターが捉える分子によって変わる。その分子構成を記録して、再現すれば香りを生成できるわけだが、タッチスクリーンのようにお手軽になるだろうか?
そこが疑問。

私は匂いに過敏なため、香水などの匂いが嫌いで、私にとっては悪臭なのだ(^_^)b
「いい香り」といわれる香水が、私には不快になる。
視覚や聴覚のような汎用性の乏しい嗅覚は、ときには逆効果。
嗅覚インターフェイスは一長一短だと思うよ。

HEALTH / 人体に刻まれたコードを、新たな解像度で理解する

サイケデリクス(幻覚剤)療法が2021年、精神医療の本流に足を踏み入れる
脳がいかに複雑でデリケートであるかが、うつ病や向精神薬の依存症を見るとわかる。心と肉体は別だと考えることが多いが、じつのところ心とは脳の状態にほかならない。脳内では様々な化学物質が作用して、いわゆる「精神」を形作っている。ある化学物質の過不足で、精神状態は良くも悪くもなる。精神(心)の病は、脳内の化学物質をコントロールすれば改善する。そこにサイケデリクスを使うという。

日本社会は、薬物と銃に対して、強いアレルギーがある。国が強い規制をしているからだが、薬物事件や銃犯罪に対して、強烈な批判報道がされるからでもある。依存症があるということでは、ニコチンやアルコールも同様なのだが、これらは違法ではないからあまり問題にされない。
海外ではサイケデリクス療法が進むことは容易に想像がつくが、日本では難しいだろうね。

21年には、病気のかかりやすさを最初期の段階で検出する、マルチモーダル(複合的)検査方法が採用される
それが可能になれば、感染症の流行初期に、かかりやすい人を隔離すれば感染を防げるかもしれない。ただし、そのためには、全国民のゲノム情報を調べて登録し、データベースを作ることから始めないといけない。
それを考えると、簡単にはいきそうにないね。

遺伝子編集ツール、CRISPR(クリスパー)によって、遺伝子治療、食の安全、環境の持続性、社会的不平等など、重要な問題に対して、より大胆な行動を取れるようになる
いいことづくめのように見えるCRISPRだが、遺伝子を改変したCRISPRベビーについての警鐘も鳴らしている。
研究者が自身の成果を自画自賛するのはいいとしても、ちょっと引っかかる部分もある。かつての原子力は、エネルギー問題がこれで解決とばかりに、明るい未来が展望された。「鉄腕アトム」の動力源は、当初は原子力だった。

しかし、原子力は兵器にも利用され核兵器となった。平和利用として原子力発電所が建設されたが、度々事故を起こして大きな災害にもなっている。原発を稼働し続ければ、核廃棄物は増え続けるが、どう処分するのかは棚上げの状態。半減期が数万年の核のゴミを、誰が責任を持つのか。

メリットがあればデメリットもある。CRISPRも同様だ。
いずれ遺伝子操作された子供……デザイナーベビーが登場するだろう。倫理的な問題は、その時代の風潮によって変わる。人工授精の試験管ベビーも、当初は倫理的な問題にされていたではないか。

デザイナーベビーが一概に悪いともいえない。自然選択による進化には、数万〜数百万年単位の長い時間がかかる。それを人為的に行うことで、人類は進化を加速できる可能性がある。問題は、その時代の社会が受け入れるかどうかだ。

ENVIRONMENT / レジリエントな循環型経済の始まり

ゴミを出さない経済成長を目指す
ゴミ問題は環境汚染の原因でもあり、解決が急がれる問題だ。
しかし、経済優先、経済成長を重視している限り、ゴミ問題は後回しになりそう。

なぜゴミが出るかといえば、ゴミになる梱包材や入れ物は、そもそもゴミになること前提で作られているからだ。メーカー(生産者)から消費者の手元に届いたら、お役御免でゴミになる。必要なのは中身の商品なのに、ゴミも一緒に買っているわけだ。この「包装する」という習慣をなくす必要があるのではないか。

いずれゴミになるとはいえ、その包装材を作っている人たちがいて、ゴミとして出されたものを回収する人たちがいて、仕事になっている。それはそれで経済的生態系になっているともいえる。

ゴミ問題として深刻なのはプラスチックゴミだが、焼却すればCO2問題になるし、そのまま捨てれば環境汚染になってしまう。プラスチックを分解する微生物が発見されたりしているが、実用レベルでの利用には至っていない。解決するための手段や技術はあるものの、本格的に取り組むことができない。これもまた「金」しだいという経済観念が働いている。

気候変動で増える難民の受け入れに奔走する都市
将来的に、気候変動で住めなくなる地域が出てくると予想されるため、その難民を受け入れるための準備をする都市の話。
日本では、残念ながら取り上げられることのない問題だろうね。移民の受け入れに不寛容な社会だから、門前払いの状態。

海外からの移民ではなく、国内の住民の移住は急務でもある。日本は自然災害大国であり、台風や地震の災害に常にさらされている。特に、近い将来発生すると考えられている、第二の関東大震災……令和の時代に起きれば令和関東大震災と呼ばれるかも。被害シミュレーションはいろいろと行われているが、首都東京は壊滅的な被害に遭う。
しかし、この人口密集である。新型コロナの影響で転出する人が増えているが、まだまだ人口が多すぎる。災害で一番の問題は、死傷者数の数だ。それを減らすには、母数を減らすことだ。

とはいえ、地方に移住しても、こころよく受け入れてくれるとは限らない。村社会で、よそ者を受け入れないところもあるという。国内であっても、よそ者には不寛容な社会なのだ。

食料の循環型経済
新型コロナの影響で、日本では当初、マスク不足になったが、食料不足にはならなかった。海外では、スーパーの棚から食料がなくなり、都市が食料をいかに確保するかが問題になっているという。

食料不足は、東日本大震災のときに経験した。あのときは、スーパーの棚がスカスカになった。それはパニック買いのためではあったが、都市の弱さが露呈した事例でもあった。では、そのことを教訓に、食糧供給問題が議論されたかというと、喉元過ぎればなんとやらで、たいした対策はとられないまま現在に至っている。

日本は食糧自給率が低く、農業従事者の高齢化が進み、跡継ぎが少ないにもかかわらず、食糧問題はあまり問題にされない。中国との関係が悪化して、食料の日本向け輸出を止められたら、日本は食糧危機に陥る。
日本はその事態に直面するまで、危機感は乏しいんだよね。

環境問題は、日本が苦手とする分野だと思う。
予想はされるが、いつ来るかわからない事態に備える……ということに、資金を投入するのをためらってしまうのだ。平たくいえば、無駄になるかもしれない、儲からない、利益が少ないからやらない。

日本人は、ある意味、災害慣れしている。台風は毎年やって来て災害をもたらすし、地震もしょっちゅう起こっている。大地震はまれでも、震度3〜4程度は年に何回か経験する。
台風や地震に対して「またか」という慣れ。それは自然災害に対する諦めでもある。危機感の乏しさは、その慣れが遠因かもしれない。

TRANSPORT / 電気とAIが拓く移動の新時代

この章では、物流と輸送、特に電気自動車(EV)について取り上げられている。
政治的な思惑もあって、ガソリン車を排除する方向に進みつつある。そのためEVが脚光を浴びているわけだ。

地球温暖化問題の主因とされるCO2の排出削減を理由に、ガソリン車は目の敵にされている。ある意味、スケープゴートになっているが、EVが環境に優しいというのも誇張ではある。一時期、水素自動車が注目されたこともあったが、今では日陰者だ。
未来に生き残る技術は何か?……という問題がここにもある。

水素自動車が、水を入れれば内部で水素と酸素に分解し、燃料としてエンジンを回す……というような仕組みであれば、普及する可能性もあった。だが、別のところで生成する水素を、ガソリンのように供給する流通網が必要だったことが足枷になった。
その点、EVは家庭のコンセントから充電できるシンプルさがある。

次世代自動車の勝者は、EVといってもいいのかもね。
ただね、何でもかんでも電化することにはリスクもともなう。ガソリン車を全廃したら、困る事態もありえる。

POLITICS / 露わになった社会の矛盾と不平等に取り組む

政府と国民が信頼し合うことで、データ利用で危機管理ができるようになる……というが、なぜ、政府が信頼されないかというと、政府の政治家たちが嘘つきばかりだからだ。これは与党も野党も関係ない。叩けば埃が出てくる人たちばかりだろう。

嘘つきの集まりの政府は、当然、国民に対して嘘をつく。彼らは嘘をつくことに良心の呵責など感じない。なぜなら、良心は捨ててきたか、すでに腐ってしまっているからだ。
誰とはいわないが、TVに出てくる政治家たちの嘘を、私たちは辟易しながら見聞きしてきた。二言目には「誠心誠意」といいながら、良心のない人間がどうやって誠心誠意を尽くすのだろうか? いってることが矛盾なのだ。

本来、政治家は選挙で選ばれた、国民の代表であり代理人であるはずだった。そんな政府が国民と対立するなどというのは、そもそもおかしな話だ。
しかし、いつのころからか、政治家は特権階級となり、国民を支配する立場になった。民主主義は表向きであり、実際は封建時代の階級社会になっている。

おそらく、国家や民主主義のシステムそのものが制度疲労になっているのだろう。やろうと思えば、全国民による電子投票も可能なデジタル社会になっているが、旧来の制度がそれを許さない。政治は政治家の既得権益と化し、国民のための政治ではなく、自分たちの権益を守るための政治になっている。
政治システムは、錆びついた振り子時計のごとく時代遅れだ。

中国は独裁国家色が強くなっているが、民主主義国家とされてきた日本やアメリカ、欧州各国も政府と国民の間の対立が深まりつつある。これは各国の独裁色が強まる予兆になりえる。国民の自由を尊重して野放しにするより、束縛して閉じ込めておく方が政府には都合がいいからだ。香港で起こっていることが、他の国でも起こるかもしれない。

BUSINESS / ヴァーチャル・ファーストなビジネス環境に適応せよ

THE END OF “FREE” / 広告からフリーになるために支払う

2021年、わたしたちはオンライン世界における無料(フリー)サービスとの蜜月関係が終わるのを目撃するでしょう。

(中略)

わたしがグーグルに勤めていたころ、広告に対しあと少し貪欲な手法を取りたいという際限ない誘惑によって、結局は消費者の体験を劣化させてしまうありさまを目の当たりにしてきました。

それには私も同感だ。これについては、過去記事でも同じようなことを書いた。
ただ、それが21年で劇的に変わるかどうかは疑問。徐々にシフトチェンジしていくだろうが、10年くらいの時間はかかるように思う。

DIGITAL SERENDIPITY / AIがリモートワークに偶然の出会いをもたらす

21年には、われわれはリモートワークのマイナス面に対処しなければならなくなるだろう。在宅勤務は短期的には効率性の向上をもたらすが、長期的な業績を牽引するはずのイノベーションを阻害する可能性がある。

これは鋭い指摘。「リモートワークはイノベーションを阻害する」というのは、見落とされている視点だと思う。

在宅勤務は孤立でもあって、一面的には自由だが、コミュニティから物理的に切り離されることでもある。プライベートと仕事との境界線が曖昧になり、よほど自分を律しないと、ダラダラとメリハリのない生活をするようになってしまう。職場に行くというのは、仕事をする上で自分に制約と義務を課すことでもある。
私はフリーランスで仕事をしていた時期があるので、よくわかる。

CULTURE / メタヴァースで胎動する新種の創造性に要注目

MATAVERSE / 現実世界を超えて、数百万人が集まるハブへ

21年には、ますます多くの大規模かつ没入感のあるバーチャルイベントが開催されるだろう。メタバースにおける技術的可能性はさらに拡張し、数千人が同時にイベントを体験できるようになっていく。

(中略)

わたしたちはメタバースにおいて、“新たな社会”が始動する瞬間を目の当たりにするだろう。

メタバース(MATAVERSE)とは、ユニバース(UNIVERSE / 宇宙)のもじりなのだろう。
言葉の響きは面白いのだけど、この人の予想はかなり楽観的。まぁ、楽観的なのは好きだけどね。

サイバーパンクが実現しない理由」にも書いたが、現在のところ、サイバースペースに意識をダイブさせる技術は、映像を主体とした間接的かつ部分的な方法しかない。脳とコンピュータを直接リンクさせることはできない。
なぜなら、脳とコンピュータのフォーマットに互換性がないからだ。

脳波や脳内の血流量で活動領域を探って、なにがしかのシグナルを拾おうしている。
しかし、それは脳の発するノイズに過ぎない。
たとえば、コンピュータの外部から、発する電磁波や発熱量を計測して、内部でどんなプログラムが実行されているかわかるだろうか?
脳の研究でやっていることは、それに近い。
意識を捉えるには、脳から直接、意識の信号を抽出するしかない。しかしながら、意識がどこで発生していて、どういう仕組みで意識を形成しているのか不明なのが現状。

ゲーム世界との意識のリンクということでは、アニメ「ソードアート・オンライン(SAO)」が理想型だろう。ダイバーたちは、ヘルメット型の端末や、カプセル型の大型装置で、全身の五感を完璧にシミュレートしてゲーム世界で活躍する。

もっとも重要なテクノロジーである、意識をデジタルに変換する方法には触れられていない。その技術的なバックボーンがないと、この物語は成立しないのだが、そこはフィクションだから誤魔化されている。残念ながら、意識、つまり脳の解明はそこまで進んでいないので、未知の技術だ。

Second Lifeのことが例に出ていたが、当時(2003年)としては画期的ではあったが、あのチープな世界は期待よりも失望しかなかったというのが率直な感想だ。
現在は、より精巧な3D技術で高速なレンダリングができるようにはなっているが、それでも平面ディスプレイに擬似的な三次元を投影しているだけで、視覚と聴覚が主体であり、場合によっては振動による触覚が加わることはあっても、SAOでいうところの「フルダイブ」には遠く及ばない。

技術的な限界というものだが、これをもってメタバースというには貧弱だと思う。

VIRTUAL THIRD PLACE / オンラインにもお気に入りの「集いの場」が生まれる

2021年には、オンライン空間が第3の居場所「サードプレイス」になり、わたしたちは主にそこで人と交流するようになるでしょう。

この人も楽観的(^_^)
オンラインの活用が増えることは間違いないと思うが、それがサードプレイスとして定着するかどうかについては、私は懐疑的だ。

「どうぶつの森」や「レッド・デッド・オンライン」が例に挙げられているが、自由度は高いもののコントローラーを操作するという従来のゲームと変わらない制約はある。没入感があると感じるのは、じつは脳が想像で足りない部分を補っているからで、脳内バーチャルというのが正しい。

今はブームで目新しさがあるものの、いずれ飽きられる。それがサードプレイスとして定着するとは思えないんだ。「フルダイブ」のインターフェイスが登場すれば、話は別だが……。

SECURITY / ジャスト・イン・ケースに備える重要性がますます高まっていく

RESILIENCE / 回復にかかるコストは“負債”ではなく“投資”だ

パンデミックを経て、“ジャスト・イン・ケース(万が一のため)”に対して備えることを“無駄”と判断していたこれまでを見直すことになるだろう。世界経済における“ジャスト・イン・タイム(必要なものを、必要なだけ、必要なときにつくる)”モデルは、あらゆる物事が比較的順調な場合は収益性が高いものの、そうでないときには極めて脆弱であるという事実から逃れることはできないのだ。

ジャスト・イン・ケースジャスト・イン・タイムか。
「万が一のため」の備えは、言葉通り9999は無駄で1だけ有効だからね。そのためのコストを負担できるかどうか。最悪の事態を想定しても、それはレアケースだからと、想定から外してきたのがこれまでの防災だったと思う。一番の理由はコストがかかるから。

現在進行形の新型コロナについても同様だろう。
日本でも感染拡大が加速していて、最悪の事態は想定できるが、ロックダウンには踏み切れない。法的に強制力のあるロックダウンはできないといわれているが、強制する必要はなく、政府が「要請」すればいい。たとえば、鉄道会社に運行停止の「要請」をすれば、事実上のロックダウンになる。しかし、それをやると経済的損失が大きいからできない。最後の切り札を切れないのだ。

口では「国民の命を守ることが大事」といいつつ、やってることは「経済の方が大事」になっている。対策が後手、後手になっているのは、ほんとうはやりたくないけど、支持率が下がったからという消極的な理由から、パフォーマンスとしてあまり効果のない対策をやっているから。

政府の閣僚たちが感染して、バタバタの倒れるようなことにならないと、本腰を入れて対応はしないんじゃないかな。彼らは、自分たちは関係ない、と思っている節がある。

CYBER TERRORISM / “見えない戦”に備えて、危機対応ネットワークを構築せよ

衛星の攻撃ですが、ジャミング(妨害電波の送信)のほかにも、偽の信号を送るスプーフィング、あるいは衛星の軌道を変えたりセンサーのようなパーツを機能不全にしたり、ユニット全体をシャットダウンしたりするものなどがあります。

日本はかつて技術立国などといっていたが、現在はデジタル後進国になってしまっている。今ごろになってやっていることといえば、「ハンコ廃止」なんていう冗談みたいな話。なんというか、50年くらい遅れている気がする。

政府がそんな調子だから、民間においても一部を除いて、デジタル化は遅れている。ハッキングされて情報が漏洩する事件は度々起こり、セキュリティ意識が低い。政府主導のマイナンバーですら、ハッキングされるのは時間の問題かもしれない。
それが人工衛星のセキュリティとなれば、ますます危ういのではないだろうか。

BALKANISATION / 技術や規格が分裂していく

2021年には、バルカニゼーション、つまり技術や規格が地域ごとに分裂し、標準化の利点を失う恐れがあります。

標準化といっても、標準規格となっているのはごく一部であって、互換性のない規格はたくさんあるけどね。ある同様の技術が複数出てきた場合、汎用性を持たせるために標準規格の策定が行われるわけだが、その選別には企業間の思惑が働き、採用された規格を出した企業が恩恵を受けることになる。それは企業間の競争の結果であって、ユーザーの利便性というのはオマケでしかない。

Appleはパソコンでもスマホでも、独自のシステムを貫くことで、ユーザーを囲い込み、エコシステムを作り上げている。
SONYは、プレイステーションで同様のことをやっている。
カメラメーカー各社も、互換性のない一眼レフのマウント形式で、それぞれにユーザーを囲い込んでいる。

独自の規格を持つということは、競争相手を排除することにもなっている。これは強者の論理でもあり、ユーザーの利便性は二の次だ。

標準規格というのは、ある意味、理想だ。
標準化の利点は、必ずしもメーカー側の利点になっていない面もある。
企業間、国家間で、開発競争が進む限り、分裂していくのは必然のように思う。


長い感想文になった(^_^)b
2020年というキリのいい年に、新型コロナという惨禍が起こったが、20年以前と20年以後の分岐点になったのかもしれない。

未来は否応なくやってくる。
1日、1日とゆっくりではあるが、少しずつ変わっていく。
現在から見える近未来が、ワクワクするものであって欲しいと思う。

諌山 裕

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諌山 裕
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