危険を知らないことが危険

 子どもの頃、親父とキャッチボールをするのが楽しみだった。
 路地や空き地で、キャッチボールをするのは、当たり前の光景だった。
 最近は、そんな子どもたちを見かけない。

キャッチボール:公園禁止、増えているが 規制緩和の動きも--昭和公園、一部解禁-家庭:MSN毎日インタラクティブ

 キャッチボールは、一体どこでしたらいいのだろうか? 「流れ球が人に当たるから危ない」。そんな理由から都市部では禁止している公園や学校のグラウンドが増えている。グラブとボールを手にキャッチボールの出来る場所を探して回っている子どもたちも多い。だが、“規制緩和”の動きも出てきたようだ。

 危険だからと、なんでも禁止していたら、なにもできなくなってしまう。
 結果、危険の察知能力が身に付かなくなる。
 ときには痛い思いをして、危ないことの限度を知る。
 それはたくましく生きるための、生き方を学ぶことでもあるのだ。

 子どもの頃は、けっこう危ないことをやった。どうかすると、命の危険があるようなことまでやっていた。
 実家の裏が山だったので、山が遊び場だった。
 そこには危険がいっぱいだ。
 崖があったり、崩れそうな防空壕跡があったり、出口のわからない林があったりした。
 だが、危ない場所ほど、スリルがあり面白い遊び場所だったのだ。
 ときに怪我をして帰ることもあったが、親はそれほど心配はしなかった。親の世代はもっと危険な環境、時代を生きてきたからだ。うちの親は子どもの頃に戦争を経験していたからだ。
 何度も危ない目に遭うと、危険を察知する勘が働く。
 これはちょっとやばそう……と、スリルを求めているけれども、回避する判断もできるようになるのだ。

 安全というのは、危険から隔離することではなく、危険を察知して回避できる能力を持つことだ。
 キャッチボールにだって危険はあるが、キャッチボールそのものを排除するのではなく、うまくかわしながら楽しむ術を覚えることが必要だ。
 そのためには周囲の状況を認識・把握し、かつコミュニケーションを取って、危険のない遊び方をする。
 そうした能力は、空間認識や情報分析といった、脳の発達にもなる。
 危険を身近に感じて、それとうまく折り合いをつけていくことが、生きる上での大事な能力になる。
 今の子どもたちの、弱さ、脆さ、非常識さというのは、危険を知らないために脳の発達が促されていないのではないかと思う。

諌山 裕

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