メタバースに関して、かなり楽観的かつ願望的な記事があった。
この論理の展開には既視感がある。
過去、新技術が登場すると、それが可能にするバラ色の未来を予想してきた。しかし、その予想の多くは夢想に終わった。
「人間拡張」が引き出すメタバースのポテンシャル:日経ビジネス電子版
メタバースは一般に「インターネット上の3D仮想空間」などと理解されている。日本でも、メタバースを冠するサービスが数多くリリースされている。しかし、各サービスをのぞいてみると実際にはまだ活況とは言い難い状況であり、サービスを提供する側の期待が先行している感が否めない。
今、このことの是非を語っても意味がない。新しいテクノロジーが生まれ、高度化する社会ニーズに対応しようとするイノベーションの黎明(れいめい)期には珍しくないからだ。重要なのは、メタバースがもたらす価値は何か、その先にどのような社会があるのか、議論を尽くしていくことだろう。
(中略)
ここで根本的な疑問を抱く人は多いかもしれない。多くの人々が仮想世界を現実世界と同様に過ごすようになる“メタバース・シンギュラリティー”は果たして到来するのか。そして実際に我々の前に訪れるのか、という疑問である。
その疑問に対するベイカレントの答えはYesだ。しかし、多くの人々が仮想世界を有効に活用するためには、すべての人間が存在している現実世界との相互作用が欠かせない。そして、そのキーテクノロジーになるのが「人間拡張」(Human Augmentation)なのだ。
(中略)
人間拡張がもたらす人間のアップデートは、大きく2つに分けることができる。概念的なアップデートと実体的なアップデートである。
概念的なアップデートとは、人間の物理的・精神的な存在の限界を取り払うことだ。人間の存在のアップデートと言い換えることもできるだろう。関連する技術としては、遠隔地にある物や人間を近くにあるかのように感じながら、それらをリアルタイムに操作する「テレイグジスタンス」や、人間が他の人間やロボットに入り込み、その感覚・体験へ没入する「ジャックイン(Jack-in)」などが挙げられる。
実体的なアップデートとは、人間の思考・知覚・感情・身体の拡張を指す。思考のアップデートとは、人間が何かを理解したり考えたりするプロセスを拡張すること。知覚のアップデートは、人間の知覚を強化・編集したり他者と共有したりすること。感情のアップデートでは、人の心理的・精神的状態を管理する。身体のアップデートは、身体能力を高めたり健康寿命を延ばしたりすることである。
人間拡張の確立には関連技術のさらなる進化を待つことになるが、そう遠い時期ではない。例えば、女優の綾瀬はるかさんがデバイスを腕に装着して流ちょうにピアノを演奏するNTTドコモのCM。遠隔地にいる有名ピアニストが演奏する筋肉の動きを電気信号で転送して、デバイスを装着している彼女が演奏するという設定だ。
これは感覚の保存や他者共有という知覚のアップデートの一例だ。まだ開発中のテクノロジーだが、NTTドコモは2030年ごろの実用化を目指すとしている。思ったより間近にあると感じる人は多いのではないだろうか。
(中略)
多くの人が仮想世界にシームレスに接続でき、仮想世界の体験が現実にも影響を及ぼす――。こんな世界が実現すれば、より多くの人がメタバースを活用するようになるだろう。現実・仮想を意識することなく知らず知らずのうちに行き来することで、1万年以上前から変わっていない人間の身体的・心理的性質は様変わりする。人々の生活も、より便利に楽しく豊かなものになるだろう。
メタバースは今、持てるポテンシャルのほんの一部が見えているにすぎない。進化途中の仮想世界における「世界創造」と、これから全貌が見えてくるであろう現実世界の「人間拡張」の両輪が開花して初めて、メタバースの真価が発揮される。この両輪が本格的に動き出せば、人間の生活やビジネス社会のパラダイムシフトが一気に起こるはずだ。
それはいつ起こるのか。人間拡張の関連技術群の実用化が本格的に始まる2030年が1つのめどになるだろう。
長い引用になったが、加藤秀樹氏の予想は恐ろしく楽観的だね。それが悪いわけではないが、過去の歴史に学ぶなら、そんなに世の中は善意だけで動いてきたわけではない。
ノーベル賞の創設の元となったアルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトを発明したが、それが殺戮兵器に利用され、多くの人々の命を奪うことになったのは皮肉だ。
たとえば、原子力。
原爆という悪しき前例がありながらも、原子力は明るい未来を作るエネルギー源になるといわれていた時代があった。しかし、平和利用としての原発だけでなく、核兵器の量産も並行して行われ、核戦争の危機をもたらした。
「鉄腕アトム」や「サンダーバード」は、原子力が作り出す未来を描いた作品だった。作品中では原子力の負の側面も描かれてはいるが、明るい未来の方が強調されていた。
たとえば、コンピュータ。
最初期のコンピュータのENIAC(1946年)は、弾道計算のための軍事技術だった。のちにトランジスタが進歩するとコンピュータは汎用化されていくが、同時に兵器にも利用されるようになった。
インターネット技術も、平和利用と軍事利用の両面がある。現在のネット事情を見ても、善意ばかりではなく悪意の利用もある。
なぜそうなるかといえば、人間には善悪の二面性があるからだ。
もしメタバースが広く普及するとしたら、いい面ばかりではなく悪い面も同時進行で現れてくるだろう。それが過去の教訓だ。
現在のネットで起こっている誹謗中傷や差別問題、フェイクニュースやプロパガンダ、詐欺や恐喝が、メタバースで起こったらどうなるだろうか?
アバター同士で罵り合ったりケンカしたり、ヘイトやハラスメントをしたりというのもあり得る。その場合、犯罪として成立するのかどうか。メタバースがリアルに近づけば近づくほどに、メタバース内犯罪が現実に及ぼす影響も大きくなる。アバターを殺すメタバース殺人事件なんてのも起こるかもしれない。
結局のところ、現実世界の社会がメタバースにも反映されるから、メタバースはクリーンな世界を保てない。理想郷の理想は潰えていく。
とはいえ、メタバースの普及はハードルが高い。
「メタ社のメタバースの見通しは暗い?」でも書いたが、メタバースに接続するための機器をそろえるには、ある程度の経済的余裕が必要だ。学校のオンライン授業を推進するために、各家庭にPCやタブレット端末を用意するのに、買えない家庭もある。メタバースでも同様の問題は起こる。
そうなると、メタバースを持てる人と持てない人の格差問題が発生する。
また、世界情勢が不安定化しつつある現状では、メタバースにうつつを抜かしている場合ではなくなるかもしれない。
メタバースの普及と発展のためには、世界が平和で、経済的にも安定していて、国同士の対立関係がなく、人々が安心して暮らせるのが望ましい。だが、世界は逆方向に進みつつある。
日本での問題は、食糧危機が遠からずやってきそうだということ。
食糧自給率が極めて低く、大部分を輸入に頼っていて、さらに円安のために価格が高騰している現状。食べるものに困窮するとメタバースどころではなくなる。
食糧は生きていくのに必須だが、メタバースは必須ではない。生活に余裕があってこそのメタバースだろう。
先日放送されていたNHKの『“中流危機”を越えて 「第1回 企業依存を抜け出せるか」』に出てきた、「全世帯の所得分布」の図。
中央値が374万円で、最も多いのが200万円になっている。この所得層にとっては、メタバースの環境を整える支出は難しいだろうね。つまり、貧乏人にはメタバースの敷居は高い。この経済状況では、メタバースの普及は悲観的。
「概念的なアップデートと実体的なアップデート」というのには、ちょっと苦笑してしまった。
説明されていることのどこがアップデートなのか。単に道具の使い方の問題であって、人間がいきなり進化するわけじゃない。
スマホを使うようになって、なにかアップデートしたかというと、指の使い方が器用になったことと人の悪口をいう(書く)のに抵抗がなくなったことくらいだろう。むしろ、視力が低下したり、視野が狭くなったり、熟慮しなくなったりで、劣化しているように思う。
メタバースに長時間没頭するようになると、筋力低下や肥満などの肉体的劣化が進みそうだ。
「人の心理的・精神的状態を管理」などというのはナンセンス。それは脳だけの問題ではなく、心理・精神状態には、鉄分などの栄養素だったり、腸内細菌の影響だったりが関係していて、とても複雑なシステムが背景にある。
「身体能力を高めたり健康寿命を延ばしたりする」についても、いささか疑問。文明の利器は便利さをもたらしたが、同時に肉体的な劣化ももたらしている。肥満や体力低下、環境汚染による病気やアレルギーも増えている。
寿命に関しては、今後10年で停滞もしくは下がっていくのではと思う。メタバースは引きこもりを助長しそうなので、ますます肉体的には劣化していく。
また、「遠隔地にいる有名ピアニストが演奏する筋肉の動きを電気信号で転送して、デバイスを装着している彼女が演奏するという設定」という例を挙げているが、これは無理である(笑)。
なぜ無理かというと、ピアニストは訓練しているからあの指の動きをできるのであって、訓練されていない人の指は、自在には動かないからだ。
指の筋肉を動かすためには、神経が開通していて、なおかつ筋肉が発達している必要がある。指の中でも動かしにくいのが薬指だが、普段単独で使うことがないので、動かそうと思っても脳からの信号がうまく伝わらない。電気信号だけ送っても指は自由には動かないんだ。
その理屈でいったら、ウサイン・ボルトと接続したら、誰もが100mで10秒を切れるのかというと、そうはならない。ボルトの身体能力がなければ無理なのだ。
「現実・仮想を意識することなく知らず知らずのうちに行き来することで、1万年以上前から変わっていない人間の身体的・心理的性質は様変わりする。人々の生活も、より便利に楽しく豊かなものになるだろう。」
プラス思考なのはいいけど、私は懐疑的だ。
メタバースごときで、1万年も変わっていない人間の身体的・心理的性質が、コロリと変わるとは思えない。むしろ、悪い方向、劣化するのではと危惧する。
加藤氏は、2030年にパラダイムシフトが起きると予想している。
あと8年後。
生きていたら、どうなっているか見てみよう。