最近の自動車のCMは、実物ではなくCGで作られているものが多いという。
CGを使う理由は、コスト削減であったり、手間暇の節約だったりするが、映像としての完成度が高くなったからでもあるのだろう。
そんな、車と広告に関する記事。
彼氏が軽自動車に乗っていたらイヤですか?:NBonline(日経ビジネス オンライン)
うまく、時代をクスグル広告って何だろう、そんなことを、自動車を取り巻く状況を見つめながら、今週ずっと考えているのですが、まだその答えらしきものは見えません。
私の田舎では、車やバイクがないと、家から買い物に行くのにも不自由するから、個人として移動手段を持つことは必然だ。東京に住んでいると、電車で間に合ってしまうけどね。
車のCMの多くのパターンは、その車を持つことで得られる利点や近い将来的な夢を見せることだと思う。
「いつかはクラウン」というのは、その典型だった。
その傾向は現在も基本的には変わっていない。
売り文句がエコであったり、性能であったり、経済性であったりするだけだ。
ユーザーの意識が車から離れていて、実用的な面から軽自動車が売れているというのなら、広告としてのあり方も、利点や未来志向を訴求しても響かないのは当然かもしれない。
CGで映像を作っていることも、現物の車ではなくなったという皮肉な比喩のようにも思える。
これまでのCMが、明るい未来を見せる「if」の広告とするなら、逆の「if」を提示するのもアリなのではないだろうか?
つまり、車がなくなったら……という逆説的な未来像だ。
【たとえばのシナリオ】
20XX年。
温暖化対策の一環として、ガソリン車が撤廃され、街から自動車が姿を消した。
都会では電車がおもな交通手段となり、道路はどこも歩行者天国となった。しかし、電車もさらなるエネルギー削減の余波を受け、運行本数や稼働時間が制限されていた。
人々は通学や通勤に、徒歩あるいは自転車を利用することとなった。
高速道路は自転車のための専用道路となり、通勤時間帯には自転車の群れに埋められていた。
彼は自宅から会社までを自転車通勤していた。
かつては、電車であれば40分ほどで通勤できたが、自転車では2時間あまりかかった。9時出勤のためには、7時前には家を出なくてはいけない。
道という道が、自転車で大渋滞。電車も動いてはいるが、超満員電車で乗れないことや遅れることは日常茶飯事だ。すし詰めの電車に乗るよりは、自転車の方がマシと考えるのは彼だけではなかった。数十万人が朝晩に大移動するのだ。
往復4時間の自転車通勤のお陰で、メタボだった彼の体は健康的になった。雨の日や雪の日、猛暑のときには辛いこともあるが、引っ込んだ腹はメリットでもあった。
しかし……
彼はふと思う。
車に乗っていたときは、運転する楽しみや、自分の時間と空間を持つことにもなり、ささやかではあるがプライベートな贅沢があった。
車は彼の個室であり、音楽を遠慮なく聴ける特等席でもあったのだ。
健康的な体と綺麗な環境を得た代わりに、彼は至福の時間と醍醐味を失った。
個人の趣味よりも、世界の環境が尊いとされる世界。
それが本当に幸せな世界なのだろうか?
あのとき、電気自動車や燃料電池車がもっと普及していれば、車を持ち運転する楽しみを奪われることはなかったのに……
彼は自転車をこぎながら、車を運転する時代が再び訪れることを夢見るのだった。
燃料電池車さえあれば、こんなことには……
……とかなんとかいう感じ(^_^)
まぁ、一発ネタだけどね。