「心」あるいは「精神」は、「脳」にある。
ある……というのは正しくないかもしれない。
脳の機能が生み出すものが、心であり精神だといったほうがいい。
殺人事件等で、被告の精神鑑定を行って、責任能力の有無を問うことがある。それで精神に異常があって、責任能力がないということになると「無罪」になる。
だが、これは的確な判断だろうか?
精神の異常とは、脳の異常である。
脳が損傷を受けていたり、発達が未成熟だったりすると、精神も正常ではなくなる。
それに関する記事。
<統合失調症>脳に未成熟な領域 マウスで確認 治療法期待(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
宮川教授らはさまざまな遺伝子を欠損させたマウスの行動を網羅的に調べ、CaMK2αと呼ばれる酵素を欠いたマウスが「気分の波」など統合失調症に似た異常行動を起こすことを見つけた。
この酵素を欠くマウスは、記憶をつかさどる海馬の「歯状回」という領域の神経細胞が未成熟で、ほとんど機能していない。死亡したヒトの脳を調べた米国のデータベースによれば、統合失調症の患者は、歯状回の成熟した神経細胞を示す分子が少ない傾向にある。
脳に異常があると精神鑑定も異常になる。
それを理由にして「無罪」になる……というのは、どこか釈然としない。
脳が正常に機能していないというのは、目が見えない、耳が聞こえない、足が悪い、心臓が悪い……ということと同じようなことだと思う。身体にハンデがあるからと、無罪になったりはしない。心臓が悪いから無罪、なんてことにはならない。それと同じように、脳が損傷しているからといって特別扱いするのは、不自然ではないか?
「脳」と「精神」を分離して考えるのは、ある種の宗教のようでもある。そういう意味では、裁判の精神鑑定は非科学的でもあると思う。