集団の中では、力関係……パワーバランスが生じる。
会社の中には、それが顕著に現れる。
雇用者と被雇用者、上司と部下、先輩と後輩……等々。
私は正社員ではあるが中途入社なので、古くからの社員と中途入社の社員という関係にある。
以下の記事は秋葉原の事件に絡めて、派遣社員と正社員との格差に触れているが、こうしたことは働くことのモチベーションという意味において、パワーバランスで弱い立場にある者には、共感するものがある。
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派遣社員は会社で偉くなることはなく正社員との給与格差も大きい。最近は契約社員を正社員化する企業も出ているが、雇用の調整弁であるという事実は変わらない。正社員か契約社員かということが見えない壁となり、職場でのコミュニケーションも分断されがちだ。
たまたま派遣会社の人と話す機会があった。「正社員は派遣の人の気持ちに鈍感。名前も覚えず、ランチには正社員だけで行く。ボーナスが出た話を聞いて傷つく派遣の人もいる。単に人を企業に送り込むだけではうまくいかないので、話を聞いてフォローしたり、派遣の人同士がつながれる仕組みを考えたりしている」と内情を教えてくれた。すべての派遣会社がこのようなきめ細やかな対応をしてくれるわけではないだろう。
私の妻は派遣で働いているので、同じようなことを実感しているかも知れない。
正社員であっても、パワーバランスで弱い立場にいれば、似たような状況になる。
かくいう私も、それを感じている。
年齢的なことには関係なく、中途入社の場合は、あとから入ってきた者が後輩だろう。相手が年下であっても、先輩として敬意をもって接する。だから、誰に対しても「さん」づけで呼ぶ。それはフリーランスのときに、仕事相手の大部分が20代~30代の若い人たちであったときでも同様だった。
古くからの社員(古株組)と、新しく入った社員(新参組)との間には、おのずと立場的な違いがある。私と同時期に入社した若い娘と、つい最近入社した新人の娘が、私のいる部署での新参組だ。
古株組は長いつきあいがあり、仕事以外でも友人関係にある。気心の知れた仲間であり、和気あいあいの雰囲気だ。
対する新参組は、その輪の中には入れない……というより、入る余地がない。古株組は上司でもあるからだ。
その両者の間には、壁とはいわないまでも「線引き」がある。
その線引きが顕著に現れるのが、ランチの時間だ。
ランチの時間は仕事の状況に応じて、各自が任意に取ることになっている。
古株組は一緒にランチに出かけることが多い。新参組を誘うことはほとんどない……というか、私は誘われたことがない。新参組は留守番を頼まれ、近所のコンビニなどで弁当やパンを買ってきて、社内で細々と食べている。
同じフロアの隣の部署の人たちが同時刻にランチに出てしまうと、私を含めた新参組の3人が、社内に取り残されることになる……。
私は食費の節約のために、昼は食べないことが多いから、別にランチに誘ってくれなくてもいいのだ。昼を食べるときでも、おにぎりやパンで500円以内と決めているから、誘われても遠慮するだろうけど(^^;)。
だが、新参組の二人の女の子は誘ってやってほしい。
ランチで仲間はずれにされているのは、正直なところかわいそうだ。
古株組が意図しているわけではないだろうが、「君たちは部外者だよ」と扱われているような気がするのだ。
小さな会社だから、この疎外感は新参組の彼女たちには堪えるような気がする。
「社内恋愛はあり?」で、「私が中途入社だということもあって、会社以外でつきあいのある人はいない」と書いたが、じつのところ、入社3年目で会社の人たちと会社外でのつきあいがないというのは初めてだ。
過去に、5つの会社で働いたが、どの会社でも会社以外でのつきあいというのがあった。
最初に勤めた会社では、会社外でのつきあいがけっこう密だった。野球チームを作って、土日の休みに河川敷で練習したり、持ち回りでホームパーティを開いて、それぞれの家を訪問したり、毎年夏には海や山にキャンプに行った。家族ぐるみのつきあいがあり、そのことが仕事のモチベーションを高めることにもなっていた。
この会社には8年もいた。私には夢があって上京したいといつも思っていたのだが、あまりに居心地がよくてずるずると決心を先延ばしにしてしまったほどだ。
上京して勤めていたアニメ制作会社は、過酷な労働条件だったが、それでも夢を持って集まった者同士だったこともあって、連帯感は強かった。同期に入った人たちとは、年齢差を気にすることなく会社外でも友達づきあいをしていた。辛い仕事だったが、互いに励まし合っていたのだ。
次に勤めたグラフィックデザイン事務所は、社長と社員が2~3人、不定期のアルバイトが3人くらいという、とても小さな会社だった。
家庭的な雰囲気の会社で、ここでも家族ぐるみのつきあいだった。当時はまだ妻とは結婚前で同棲していた時期だが、社長とその奥さん、もうひとりの社員だった女の子と伊豆に旅行に行ったりした。このとき妻も同行するはずだったのだが、体調を崩して行けなかった。
このときの社長は、私には先生であり親父的な人だった。美大を出ていた社長からは、絵描きのイロハを叩きこまれた。フリーになるために辞めたが、今でも尊敬する恩人だ。
今の会社に来る前の会社も、社長を合わせて3~4人だった。
ここの社長が、チャキチャキの江戸っ子という感じの人で、おおざっぱだけど威勢がよくて、バイタリティだけはある人だった。
社長とは、近くの茶店で、よく世間話をした……というか、聞かされた(^^)。
安月給ではあったが、居心地はよかった。しかし、社長が仕事先のトラブルに巻き込まれてしまって、給料が払えない……という事態になって辞めることになった。その後、持ち直してなんとか会社を続けているようで、たまに電話がかかってくる。
なんの電話かと思えば……
「Macのことでわからないことがあるんだけど」
私がいるときに、あれこれとMac環境を整えていたため、わからないことがあると私に聞いてくるのだ。
……というように、過去の会社では「線引き」されることはなかった。
仲間に加えてくれていたというより、引き込まれていたのだ。会社以外でのつきあいがあると情がわくから、モチベーションも高まる。残業が多くても、頑張ろうという気にもなる。
今の会社がドライなのかというと、そうともいえない。古株組の人たちは会話も弾んで楽しそうに仕事をしている。逆に、彼らの仲の良さが、新参組には近寄りがたさにもなっているのだろう。
会社の性格を決めるのは、経営者や上司の資質だろう。
スポーツでいえば、監督やコーチだ。いい選手がいても、監督がうまく活かせなければ実力は発揮できない。現在の巨人軍やサッカー日本代表のように。
新参組の女性2人は、まだ経験が浅いこともあって、よく叱られている。叱りたくなるのもわかるのだが、露骨に感情的に怒っていることも多いので、そばで聞いているこっちまで怒られているようで不快になってしまう。
叱り方が下手だなーと思う。
で、こんな記事。
Yahoo! JAPAN – R25世代のためのワークスタイル研究所
そもそも「叱る」目的は「相手に間違っている点を改善してもらう」ことにあります。「なんでこんな簡単な~」と、感情的になって相手の仕事の能力そのものを否定するような言い方をしてしまうと、相手のプライドを傷つけるだけで何も改善されません。
このページに書いてあることは、よく言われてるなー(^^;)。
「こんなんじゃ、ダメ」とか「もっと格好良く」とか「もっとシャープに」とか「適当にまとめて」とか「微妙だなー」とか……。
デザインは感覚的な部分が多々あるので、抽象的な表現になるのはわかるのだが、新人相手にはそれじゃ勉強にならないだろうと思う。社内で年齢的にも下の方にいる彼女たちが、萎縮しているのがありありとわかるのだ。
同じようなことを、私に言われたって困ってしまう。
「あなたが言う、格好良さってなんですか?」と、思わず問い返したくなるのを、グッとこらえる(理由は後述)。逆らえる立場ではないからだ。
それでどうするかというと、過去に会社で作ったものを参考にして、テクニックをパクる。あるパターンがあるので、そのパターンの中にはめ込むのだ。そうすれば、なんとか納得してくれる。
以前、一度だけ社長と議論したことがある。
「いいデザインとはなんだと思う?」と問われたからだ。
私は、
「オリジナリティだと思います」と答えた。
それに対して社長は、
「それは違う。完成度の高いものだよ」
そのとき思った。ああ、この人とは根本的に考えかたが違う。
完成度の高いデザイン……とはなんだろう? その判定基準はなんだろう?
他人の作ったデザインをパクってでも、体裁として整えることが完成度を高めることなんだろうか?
デザイン業界は、パクリが当たり前のように行われる。よほど有名なデザイナーでない限り、デザインを誰がしたかはわからない世界だ。だから、パクってもわからない。ほんの一部分、ほんの少しのエッセンスをパクっただけでは、盗作だとはわからないし、問題にもされない。
巷にあふれているデザインは、どこかで見たようなものばかり。
驚きや感動はそこにはない。
私が思う「いいデザイン」とは、今まで見たことのない、驚きや感動があるものだ。
それが「オリジナリティ」
自分にそんな仕事ができるとは思わないが、志くらいは持っていたいものだ。
話がそれた(^^;)
長くなってしまったが、ともあれ、会社でのパワーバランスというのは、正社員:派遣社員だけに限らず、正社員の中でもあるということだ。