21日の土曜の夜、「おおかみこどもの雨と雪」を見てきた。
久々に「いい映画」を見た。
……という気持ちになった。
ハリウッド製の大作娯楽映画もいいが、それとは違う、心が和む映画だ。
細かいことをいえば、突っ込みどころもあるのだが、エヴァのような刹那的なカタルシスではなく、ジブリの押しつけがましい理想郷でもなく、現代的で身の丈の世界観が共感できる。
妻のいった一言が、的確だった。
トトロの田舎より、こっちの方が実感できる。
「となりのトトロ」の田舎の風景は、かつてどこにでもあった風景の断片ではあったのだが、東京育ちの妻にとっては「知らない世界」だ。私は田舎育ちだし、トトロの原風景は私が子どもの頃には現存していた。
だが、妻のように昔の田舎を知らない世代にとっては、トトロの田舎は架空の世界なのだ。
「雨と雪の田舎」は、現在でも存在するであろう田舎の風景だ。
だから、想像できる範疇であり、共感できる世界になる。
おそらく、そうした共感は、もっと若い世代にも感じられるはずだ。
大学生だった女性が狼男と恋をして、子どもを産み、その子ども達の成長をつづる……というストーリー展開だが、映画という短い時間の中で、少々詰め込みすぎのきらいはあるものの、破綻を最小限に抑えている構成力は見事。
個人的な評価としては、「サマーウォーズ」の方が作品としての密度は濃いと思う。というのは、「サマーウォーズ」では倒すべき敵が存在し、それをいかに攻略するかという目標があった。それがラストに向かって盛り上がっていく要素になっていた。
「おおかみこどもの雨と雪」では、そうした辿り着くべきラストはない。物語は淡々と、ときには切なく進んでいく。
その切なさがいい。切ないだけでなく、喜びもある。
喜びと悲しみは表裏一体の関係にある。
悲しみを知っているから、喜びを噛みしめられる。
辛いことから逃げていても、救われるわけではない。
日常は、その繰り返し。
当たり前の日常には、不満、苦痛、理不尽なことがつきものだ。
毎日会社に行って、仕事して、帰宅して、寝て……と、これといって変化のない日々。生活していくために、妥協しなくてはいけないことも多い。
ときどき、虚しく感じる。
「これでいいのか?」
と、自問自答する。
もっと、違う生き方があるんじゃないかと。
とはいえ、現実にできることには限界がある。
だが、せめて物語や映画で、心を満たしたいと思う。
だから、面白い作品を読みたいし、観たい。
がんじがらめになっている心を解き放ってくれるような作品に出会いたい。
そんな期待を込めて、映画館に行くんだ。
「おおかみこどもの雨と雪」は、その期待に応えてくれた作品だった。
映画では、成長した雪の語りで物語が進行する。
つまり、過去を振り返る形だ。
その雪は、もっと成長したあとだと思われるが、過去形で語られる語りが気になる。
語っている雪は、何歳でどういう環境にいるのかが気になるのだ。
思い出を語っていることになるが、「現在」は幸せなのだろうかと。
映画の中では描かれていない物語に、思いを馳せる。
そんな余韻が残る作品だ。
と、関連する記事を見ていたら、富野由悠季監督が絶賛しているとか。
富野由悠季:「おおかみこどもの雨と雪」を異例の大絶賛 – MANTANWEB(まんたんウェブ)
人気アニメ「機動戦士ガンダム」の生みの親として知られる富野由悠季監督が、21日公開の劇場版アニメ「おおかみこどもの雨と雪」(細田守監督)を絶賛した。毒舌家としても知られる富野監督だが「新しい時代を作ったと言っていい」とコメント。細田監督も「こんな光栄なことはありません。これを励みに頑張ってまいりたいと思います。ありがとうございました」と喜んでいる。
富野由悠季監督が絶賛するのは、わかる気がする。
富野監督とは、対極にある作品だろうからだ。
原作のないオリジナルのアニメで、これだけの作品を作れる監督は少ない。ジブリでさえ、ほとんどの作品で原作をよりどころにしている。原作とは似ても似つかないとしてもね。
【以下、ネタバレ】
ちなみに、私が一番グサッと胸を打たれたのは、狼男の彼が、狼の姿のまま川で死んでいたシーンだ。
狼の死体は野良犬と思われたのか、ゴミ回収車に放り込まれて、運ばれていった。
そこに駆け寄った花の叫びは聞こえなかったが、あまりに切ないシーンだった。考えようによっては、とても残酷なシーンなのだが、狼男という幻想とリアルな現実の接点にもなっていると思う。