予想されたことだが、ついに「食品買いだめ」が始まったようだ。
愚かな人間、浅ましい人間が、これほど多いという現実に失望する。
日本はまだマシという見方もあるが、地震や台風などの自然災害が発生したときの、「がんばろう○○」と、励ましあい、助けあっていた「やさしさ」や「思いやり」の精神は、どこに行ってしまったのだろう?……と思ってしまう。
「生活ままならない。疲れた」食品買いだめに客ら悲鳴 [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
小池百合子・東京都知事が今週末の外出自粛などを都民に求めた25日夜の記者会見。その直後から、都内のスーパーではあわてて食料品を買い込む人たちの姿がみられた。スーパー業界は「生産が止まり、商品が全くなくなる状況は考えられない」と、冷静な行動を呼びかける。
(中略)
「冷静さを保ちたいが、同じように不安に駆られてレジに並ぶ人たちをみると、落ち着かなくなります」
中央区の24時間営業スーパーでも、外出自粛要請を知って急きょ買い物に出たという女性(26)が夫と大きなバッグを2人で運んでいた。女性は「これだけあれば1週間ぐらいは過ごせると思います」。土日は家で過ごすという。
こういう人たちは、自分さえよければいいという人たちなのだろう。
買いだめパニックに踊らされず、冷静に対処できる正直者が、あおりを受けてバカをみるというのは不条理だね。
急遽買いだめに走るのではなく、東京は首都直下型地震が、いずれ発生するリスクを常に背負っている。そのための備蓄を、平素からやっていれば、あわてて買いだめしなくても済む。
買いだめしなくてはいけない人たちは、もしものときの備えをしていなかったマヌケともいえる。
東日本大震災のあとは、食料品が売り場から消えて、けっこう大変だった。実家の田舎から、食料を送ってもらったりして、なんとかしのいだ。
あのときの教訓から、缶詰やインスタント食品、それと飲料水を備蓄するようになった。なので、今日現在、1週間分くらいの備蓄はある。「缶詰ばかりで飽きた」などという文句をいわないかぎり、食べるものはある。
備蓄用の食料では、冷凍食品はだめだ。停電したら、冷蔵庫はただの箱になってしまうからだ。常温保存で、長持ちするもの。
みんな、あの地震のときの教訓を忘れてしまったのだろうか?
しかし、しかしである。
新型コロナは過剰に騒ぎすぎている。
死に至るリスクの度合いからいえば、新型コロナに感染して死ぬ確率よりも、交通事故に遭って死ぬ確率の方が高いのだ。
現在、死者は45人。
交通事故死は、年間で4000人前後。1日に換算すると、10人/日の割合で死亡事故が発生していることになる。
コロナ騒動が起きてから、約3か月。交通事故で900人くらいが亡くなっている計算。
死のリスクは、どっちがより深刻なのか?
新型コロナを心配するより、帰宅途中に交通事故に遭う心配をした方がいい。
新型コロナ騒動の影に隠れて、話題にすらならないのだが、季節性インフルエンザでは……
:なんと1日50人以上「インフル死者」が日本で急増する不気味 怖いのは新型コロナだけじゃない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
2016年1463人→2017年2569人→2018年3325人。ここ数年、インフルエンザで亡くなる人が増えている。2019年も1~9月の集計で、すでに3000人超。統計データ分析家の本川裕氏は、「怖いのは新型コロナウイルスだけではない」という――。
……と、昨年の1〜9月だけで3000人超が亡くなっている。
だが、このことを特別な問題にされることはなかった。
トイレットペーパーの買いだめだ、学校閉鎖だ、イベント自粛だ、首都封鎖だ……と、誰も騒がなかった。日常生活はなんの支障もなく営まれ、インフルで死ぬ人のことなんて考えないし、まして自分がインフルに感染することに対しても危機感はなかった。
なぜかといえば、もはや毎年のインフル流行は恒例行事みたいなもので、普通のこと、当たり前のことになってしまったからだ。
正常化バイアス、というやつ。
年間で1万人ともいわれるインフルエンザ関連死でも、報道されないし、関心を呼ばない。
1万人の死体を目の当たりにするわけではないので、死の実感がないのだ。
新型コロナではなく、いつものインフルエンザが流行しても、オリンピックは問題なく開催されただろう。たとえ、数千人が死んでいてもね。
インフルによる死者数は、日常として許容されてしまっているからだ。
新型コロナ騒動は、長期化しそうだ。
現在のような緊張状態を、いつまでも続けられないし、続かない。
このようなストレスがかかっていては、心身も社会も経済ももたない。
どこかの段階で、割り切ることになる。「もう、しょうがない」と。
インフルによる死者を許容しているのだから、新型コロナによる死者も許容するしかない。
冷酷ではあるが、そうしなければ乗り越えられないだろう。
世界各国は、事実上の鎖国状態になっている。
皮肉にも、人の往来を制限したことで、旅客機が飛ばなくなり、外出を控えることで車が走らなくなり、企業が操業を停止することで石油や石炭の消費が減った。
結果、今までできなかった、二酸化炭素の劇的な削減が、一時的にせよ実現している。
その代償として、人々は不自由になり、スポーツ観戦やイベントはなくなり、経済活動は著しく低下し、企業によっては倒産の瀬戸際に立たされている。これはある意味、パリ協定を厳密に実行した場合の、実験にもなっている。
環境少女のグレタさんが、新型コロナに感染したとかいうニュースもあったが、彼女はむしろ新型コロナに感謝した方がいい。彼女の求めていたことを、世界は実行したのだ。彼女が理想とする二酸化炭素の排出を著しく減らした社会が、いま一時的に成立している。飛行機が飛ばず、渡航を制限された世界とは、こういう世界なのだと。
ともあれ、買い占めは愚かだ。
誰もが自分だけよければ……という行動をすると、社会システムが機能しなくなる。それは結果的に、我が身に代償として降りかかってくる。
しかしながら、バカは所詮バカでもある。
「馬鹿につける薬はない」とは、よくいったものだ。新型コロナのワクチンよりも、馬鹿につける薬を開発した方がいいかもしれない。