教育現場の問題を取り上げた記事なのだが、生徒に問題があるのか教師に問題があるのかというより、両者は連動していると考えた方がいいかもしれない。
以下の記事は有料記事。
公教育迷走の裏に「腐ったミカン」「15歳の夜」への誤解:日経ビジネス電子版
先送りしてきた改革の1つが「教員の質」の維持だ。一般企業と同様に教員の世界でも、ベテラン職員の大量退職時代を迎え、現場の人手不足を防ごうと数を増やした。小学校教員の新規採用者数は2000年に4000人だったのが、18年には1万6000人と4倍になっている。その結果、試験の倍率はおのずと低下し、12倍を超えていた00年に対し18年には3倍程度にまで下落。東京都内では「2倍を切る」とまで言われ、教職への道は20年前に比べ確実に“広き門”となった。
(中略)
ただ教育界の中には、公教育迷走の本当の原因はゆとり教育とは別のところにあるという主張もある。そう訴えたのは、1980年代から公教育の行方に警鐘を鳴らしてきた「プロ教師の会」。埼玉県の公立中学に勤務していた教師の集まりである彼らが、2007年の著書『教育大混乱』(洋泉社)で指摘した公教育衰退の真因を簡単に言うと、「1980年代から子供たちが変容し、学ぶ気持ちを持たなくなったから」となる。
問題のある子供を「腐ったミカン」と呼ぶなら、問題のある教師は「錆びた刀(錆刀)」とでも呼ぶか?
教員間での悪質なイジメがニュースになっていたが、「イジメ」という呼び方そのものが問題を矮小化している。
これは暴行事件であり、犯罪として立件されるべき問題だ。「イジメ」とすることで、事態を軽く扱っている。生徒間のイジメでも同様で、イジメではなく暴行事件として扱うべきなのだ。
件の教員暴行問題では、加害教員が懲戒免職になるのではなく、暴行の道具として使われたカレーが禁止になるという異例の展開で、波紋を広げている。
それなら、金属バットで殴っていたとしたら、金属バットを使用禁止すればいいのか?
なるほど、教育現場では暴行した道具が悪いという発想なのだな。
それはさておき、こういう暴行教員がいるのは、「教員の質」が下がった結果なのだろう。最近は、問題を起こす教員が多くなった印象がある。
……と、この半年ほどの間の教師が関連したニュース記事見出しを拾ってみた。教師だから目立つということはあるにしても、こうしてニュースになるのは表沙汰になったものだけだろうから、背後にはもっといろいろ問題は起きているのかもしれない。
冒頭の記事では、「1980年代から子供たちが変容し、学ぶ気持ちを持たなくなったから」と、子供に問題があるとする理由が挙げられている。
ちょっと待てよ。
1980年代以降の子供たちが成人して、現在の教師になっているわけだから、腐ったミカンが錆びた刀になったともいえる。
教員の質が下がっているのは事実だろうが、では質の高い人たちはどこに行ったのだろう?
どの業界でも、新入社員の質が下がったことを嘆いているのではないか?
エリートが集まるはずの官僚の世界でも、不祥事が相次ぎ、質の低下がいわれている。
全体的に質が落ちているということか?
となると、教員だけの問題ではなくなる。
日本人の質の低下だ!
勤勉で礼儀正しく辛抱強い……というのが、日本人の利点とされてきたが、最近ではあまり当てはまらなくなった。
教育の劣化が招いたともいえるが、それだけだろうか?
私は化学物質汚染による影響を疑っている。
大気汚染、水質汚染、薬物汚染(農薬や抗生物質などの医薬品を含む)、プラスチック汚染、環境ホルモンなど、さまざまな化学物質にさらされてきた世代が、現在の60歳以下の世代だ。
これらの環境汚染では、呼吸器疾患、アレルギー、免疫障害、発がん性などが取り沙汰されるが、局所的な影響だけでなく、人体全体、もっといえば脳機能にも影響を及ぼしている可能性もある。
脳は電気信号と化学的な反応とで機能しているが、環境汚染の化学物質の中には、体内のホルモンと似たような働きをするものもある。人の喜怒哀楽は、脳内のホルモンが作用して起こる感情だ。「心」は化学物質で操作可能でもあるということだ。典型的な例が「うつ」に処方される薬などがそれだ。
環境汚染は微量ではあるが、10年〜20年と摂取していれば、どういう影響が出るかはわかっていない。即効性の害はないとされていても、無害ではない。
偶然の一致かもしれないが、教育の劣化が始まった時期と、化学物質汚染が表面化した時期は、相関関係にあり現在進行形だ。
もし、関連性があるとしたら、教育改革をするだけでは解決できないことになる。
腐ったミカンを錆びた刀で切っても、何の解決にもならないことは確か。
さて、どうする?