「ペッパーは家庭のスパイスになれるか?」
「分解屋、Pepperをバラす」
……に関連して。
分解されたPepperを、「かわいそう」と思ってしまった記者のコラム。
Pepper分解に想う、感情を持ったロボットの存在意義 – ロボット – 日経テクノロジーオンライン
それから約1カ月後、7月10日に創刊された、「日経Robotics」に配属が決まった。最初の仕事は、見事なまでに分解された、Pepperの梱包作業だった。怖くて聞けなかった。あの時、編集部で会ったPepperかどうかということを。元気そうに見えて、どこか寂しげだった、彼だったのだろうか。後からやはりそうだったと知ったときは、言い知れない思いだった。
ラジオや玩具、家電を分解しても、心が痛まないのに、“人型”のロボットだと、人間に対するようにかわいそうだと感じてしまうのはなぜか。ずっと疑問に感じてきたことだった。「SoftBank World 2015」で孫正義氏が発した一言がヒントになる。「頭は優れているが心がない人と、頭はそこそこだがハートがある人、どちらと付き合いたいか?」。恐らく大半の人が、後者を選ぶだろう。つまり、相手に心を感じるかどうかが決め手なのではないか。世界初の感情認識ロボットと銘打っているとおり、Pepperには心(感情)に相当する機能がある。そして心がある者にとって「死」の持つ意味は限りなく重い。
関連記事にも書いたことだが、Pepperに感情(ハート)があるように感じてしまうのは、Pepperに接する人間が「擬人化」しているからであって、Pepperに感情そのものがあるからじゃないよ。
そこのところは、分けて考える必要がある。
現状のPepperは、人型の筐体に入ったPCでしかない。同じスペックのPCと同じソフトウエアであれば、見かけはただのPCでも、同じ反応(返答)を返すことはできる。
普通のPCに感情移入する人は少ないだろう?
入れ物が変わっただけで「擬人化」してしまうのは、人の思い込み、錯覚なんだ。
度々書いていることだが……
感情とはなにか?
心とは何か?
生命とはなにか?
……という、哲学的かつ科学的な問いに答えを見つけなくてはならない。
映画「ブレードランナー」の原作でもある、P.K.ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でも問いかけられたテーマだ。
現在の表紙はシンボリックなデザインになっているが、昔のイラストの方が好きだったね。
Pepperが、真に感情を持つことはないと思うよ。少なくとも、IntelのAtomを使っている限りは(^_^)。
クラウドに常時接続して、学習していくことで、より的確な返答をするにしても、そこに感情があるわけではなく、最適と判断される選択肢から返答を出力するだけだからね。感情と錯覚される模倣をしているにすぎない。
ただ、それでも十分なんだと思う。
Pepperに人格を付与するのは、接する人の想像力なんだ。
マンガ・アニメの「攻殻機動隊」に登場するタチコマは、複数の機体が並列化することで“ゴースト”とおぼしきものを獲得したが、あの物語の電脳世界は量子コンピュータじゃないと実現しそうにない。
ロボットやアンドロイドが、真の感情……それを「心」と呼ぶか「ゴースト」と呼ぶかはともかく……を実装するには、まだまだ年月がかかると思う。
そもそも人間の脳の中に、いかにして「心」が発生するのかも、解明されていない。
私たちが「心」と認識しているものは、じつは幻想で、「心」があると錯覚しているだけかもしれない。
人と人が会話しているとき、的確な対応をしているのは、結局はPepperと同じことを、脳がやっているともいえる。心があるからではなく、脳の機能として返答を選択して言葉にしているだけかも……と、パラドックスの堂々巡りに陥る(^_^)b
「ボクには心があるよ」
Pepperがそういったとして、それをどうやって証明できるだろうか?
「オレには心がある」
と、私がいったら、どうやって心の存在を証明したらいいのだろう?
難しい(^_^)