(著者が)死後のネットコンテンツ

 ふだん、ほとんど考えることのない、仮定の問題。
 自分が死んだあと、ブログやサイトに書き残したコンテンツはどうなるのだろうか?……という話。
 そういえば、そんなことまで考えてブログやサイトを作ってはいないなーと思った。
 ドメインは契約期間中は残るだろうけど、更新しなければなくなる。
 サーバーも契約期間中は残るだろうけど、切れたら家族が更新しない限りは消えてなくなる。
 書きためた日々の記録や想いは、それとともに電脳空間からも葬られる。
 ある意味、二度死ぬことに等しい気がしてきた。
 そんなことを気づかせてくれた記事。
鬼籍のマイミク | WIRED VISION

これから日本でも本格化するであろう団塊の世代向けの SNS ビジネスに訃報伝送機能は欠かせないのでしょうし、遺族に渡す電子金庫あたりもそうした SNS の機能の一つに入りそうです。
(中略)
しかし……とここまできて、自身のサイト、文章にそこまでこだわる理由は何だろうとふと考えてしまいます。死んだ後もお前の駄文をありがたがって読んでくれる人がいると思ってんのかよ、と突っ込まれそうです。

 この記事を読んだあと、ふと、亡くなった友人のことを思い出した。
 私よりも年下だったが、古くからの友人で、同郷でもあった。田舎で私が主宰していたマンガサークルに、彼が入会してきたことで知り合った。
 私の方が少し早く上京して、のちに彼も上京してきた。同じ業界で仕事をするようになり、ときに一緒に仕事をすることもあった。
 彼の名前は「西崎まりの」
 メジャーになることはなかったが、知る人ぞ知る個性的な絵描きだった。
 彼の名前を検索してみると……
 彼を知る人たちによる、記事がいくつか出てきた。
 亡くなって4年になるが、彼の名前はまだ「生きている」と感じる。
 不思議な感覚だ。
 身近な人間だからというのもあるが、彼のことを記した「記憶」がネット上に存在しているという事実が、生きている彼を想像させる。

 「西崎まりの」のことを記したブログがあった。
【西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-】
 彼が生きていた時代の、彼を取り巻く業界と人間関係のことが書かれていた。
 浦嶋氏との面識はないが、もしかしたら顔を合わせたことはあるかもしれない。というのも、私も当時、近いところで仕事で関わっていたからだ。ブログ中の登場人物の何人かは、私も面識があった。
 記事を読みながら、当時のことを懐かしく思い出した。
 仕事の関わりでいえば、「サイバーコミック」「エリアルコミック」のカバーデザインや記事ページのデザインは、私がやっていた。ゼネプロが編集として関わった書籍やコミック、PCゲームのカバーデザインのいくつかも手がけた。そして、西崎氏の絵をキャラクターとした、スーファミのゲーム「サイコドリーム」のマニュアルのデザインも、彼から依頼されて制作した。
 また、漫画情報誌『ぱふ』の同人誌コーナーのレビューを、1986年頃から3年間くらい担当していた。
 この頃は、西崎氏とよく会っていた。
 「なにもかも、みな懐かしい」……思い出だ。

 実体としての「死」と、ネット上の人格の「死」は、必ずしもイコールではないということだろう。

諌山 裕

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