遺伝子操作をした子供が生まれたと発表されて、物議を醸している。
多くは懸念や批判で、生命倫理に反するとする論調だ。

だが、ちょっと待て。
こういう「空気」は、既視感がある。

CNN.co.jp : 中国の研究者、遺伝子操作ベビー「誇りに思う」 3人目誕生の可能性も

香港(CNN) 世界で初めて遺伝子を操作した双子の女児を誕生させたと主張する中国の研究者が28日、香港で開かれた人のゲノム編集に関する国際会議で講演し、受精卵に手を加えた別の女性が妊娠初期の段階にあることを明らかにした。

(中略)

ハーバード大学のデービッド・R・リウ教授は、「ゲノム編集に関しては現時点で何が許され、何が許されないかという厳格なコンセンサスがある。賀氏が報告した研究は、それを逸脱している」と指摘した。

そもそも、この研究者の発表は「本当」なのかどうかに疑問を持った。
話題作り、研究成果作りのための、ブラフなんじゃないのか?
成果を上げないと、地位や資金が得られないのは、国を問わず研究者が置かれている立場だろうと思う。
日本でも、STAP細胞騒ぎがあった。
なんとなく、あの騒ぎと似た空気を感じるのだが……。

この手の話題のときに、必ずといっていいほど出てくる言葉として、
生命倫理……というのがある。

まるで、伝家の宝刀だ。
この言葉を振りかざす論調に、どうにも腑に落ちないモヤモヤしたものを感じる。
その生命倫理の境界線というか、本質はどこにあるのか、あまりにも曖昧だからだ。

植物や人間以外の動物の遺伝子改変は、すでに商業ベースで行われている。
そのことについては、誰も生命倫理がどうとかはいわなくなった。
動植物は良くて、人間はダメという根拠はなんなのか?

人間の場合でも、体外での細胞や卵子・精子での実験はいいが、受精卵を胎内に戻してはいけないとされている。
では、人間が人間として扱われるのは、受精卵のどの段階からなのか?
受精卵の細胞分裂がどこまで進んだら、人間になるのか?
胎内に戻さなければ、人間として扱われないのか?
今現在は胎児を体外で育てることはできないが、将来的に人工子宮ができたら、生命倫理の扱いはどうなるのか?
明確な線引きはないのではないか?

不妊治療として行われる、卵子や精子の凍結保存、体外受精(試験管ベビー)、代理母出産、精子や卵子のドナーなども、登場したときにはやはり批判された。
そのときにも、生命倫理の問題は問われた。
しかし、現在は医療行為として認められている。

出生前の遺伝子操作が、これまでの生殖医療とは大きく違うことはわかる。
しかし、難病の治療方法として、遺伝子治療を試みることは容認されている。それはすでに生まれた人間に対する処置であるという点が違うものの、遺伝子改変には違いない。
受精卵段階と、成体としての人間に対するものとの、境界線はどこにあるのか?

そもそも論として、私たちの社会、人類は、生命を尊んでいるのだろうか?
戦争や紛争で、無慈悲に人々は殺されている。
交通事故で毎年5000人近くが亡くなるが、自動車が禁止されることはない。不幸な事故として片づけられるだけ。
タバコはがんを発症するからと排除されるが、酒でも健康被害は起こるのに容認されている。
原発事故を経験してもなお、経済性を優先して原発を使い続けている。
貧困や飢餓で死んでいく多くの人々がいる一方で、億単位の資産を個人が握っている。
命は尊いというのは理想論であって、現実には命は軽んじられている。

そんな社会の中で、生命倫理とはなんなのか?

根源的なことをいえば、医療行為そのものが自然の摂理には反しているともいえる。
文明発生以前の時代であれば、大けがをすれば、死ぬ。病気になっても、死ぬ。
人間の本来の寿命は30年ほどだといわれる。それは、生まれてからの心臓の総心拍数の上限からくる寿命だ。鼓動が速い動物ほど短命なのだ。

生命倫理を厳格に適用するのなら、30歳以上生きるのは生命倫理に反するともいえるのだ。
長生きは自然の摂理にそぐわないと。

不妊治療として様々なことが行われるが、妊娠できないのは次代に受け継ぐ遺伝子ではないという、遺伝子からのメッセージとも解釈できる。
精液の中に精子は数億匹いるわけだが、その中から受精に成功するのはたったの1匹。競争を勝ち抜いた1匹の強い精子だ。この過程は、精子の選別でもあって、優秀な遺伝子を残すシステムでもある。
しかし、人工授精では競争はなく、無作為に選ばれた精子になる。本来なら、その精子は生き残れない精子だった可能性が高い。なにしろ、数億分の1の生存確率なのだから。
それで受精させていいのか?
これのどこに生命倫理があるのだろうか?
念のために書いておくが、私は不妊治療を否定しているわけではない。

遺伝子操作ベビーの真偽は不明だが、本当だとしたら、これは第一歩にすぎない。
試験管ベビーがそうだったように、同様に生まれてくる子供が増えていけば、いずれ特別なことではなくなる。
50年後くらいには、生む子供をデザインする時代になっているかもしれない。
いわゆる、デザイナーベビー。
現在は、このことに対して批判的だが、過去の生殖医療の経緯から考えると、一定の要件を満たせば容認されていく気がする。

結局のところ、生命倫理とは、その時代の人間の価値観の反映でしかないと思う。

諌山 裕

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