日本のWEBは「残念」なのか?

 日本のネット事情と英語圏のネット事情を比較して、『日本のWEBは「残念」』と嘆いている記事があった。
 まぁ、一理あることではあるのだが、私が思うに、文化的な根っこが違うから日本的になるのは必然だろうなーと思う。
 その記事は以下。

日本のWEBは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) – ITmedia News

 英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。

(中略)

 サブカルチャー強いよね、日本は。それも全然否定してないよ、日本のサブカルチャー。日本発グローバルでさ。ただ僕自身がサブカルチャーはそんなに……。僕は漫画読まないしアニメみないしさあ。志向性がちがうだけで。

 日本のサブカルチャー領域でのWeb文化の隆盛は十分に分かっていて、敬意を表しています。だから、今さらそういう事例について議論しても、日本のWeb文化が特に変化したとは思えないんだよね。

 日本の携帯電話は「ガラパゴス的」と揶揄されるが、ネット事情も日本はガラパゴス化してるんだと思う。
 マンガやアニメがサブカルチャーとして、世界的に認められるようになったのも、元はといえばガラパゴス的な進展があったからだ。予算が少ないことから、コマ数を減らすリミテッド・アニメにして、子ども向けだけではなく大人でも楽しめるようなストーリー性の高い作品を作ったり、ディズニーが3Dに傾倒していく中で、手描きのアニメを作り続けたり……それらは、日本独自の適応だった。
 そのガラパゴス的な進展が、いつしか日本的なサブカルになった。
 梅田氏は英語圏にはアカデミックな情報が豊富ということを特徴として挙げているが、ネット以前の時代から、英語圏はアカデミックな文化を発展させてきた。
 日本人が苦手とされるディベートなども、論理的な考え方を基盤として自己主張する論争好きな文化に根ざしている。
 日本では論争よりも調和、自己主張よりも妥協、学術的なことよりも娯楽……という傾向にあると思う。
 ネットの使われ方も、学術的なことよりも娯楽的な趣向の方が強いのは、文化的背景として必然のような気がする。

 アカデミックなことが「上」で、サブカルが「下」という階級意識もどうなのかな?と思う。
 現実的なことをいえば、英語圏というのは、数的に圧倒的に優位にあるわけで、母国語が英語でなくても英語が通用する国も含めれば、メジャーなわけだ。
 英語を第一言語としている人の数は3億8千万人程度、第二言語として用いる人口は約6億人だという。(参考→Let’s英会話|英語圏・人口
 この数的優位にはかなわない。アカデミックな情報を発信する人の割合が同じだとしても、総量では英語圏の方が優位である。
 対する日本語圏は日本だけのマイナーな世界。
 資料→2008年の日本のインターネット人口推計値は、7,830万5000人
 10倍くらいの差がありそうだから、文献数だって10倍くらい違い出ても不思議ではない。
 表層だけの比較では、「残念」かどうかなんて、感覚論にしかならないと思うのだが?

 日本はネットでもサブカルに特化する。
 そのくらいの独自性があってもいいと思うね。

諌山 裕

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