講談社の「プロジェクト・アマテラス」に感じる違和感……の続き。

前述の記事の続き。
以下の記事を読むと、編集者が自ら無能であることを認めているように思える(^^;)。

読者を「編集者」に――ネットの“発掘力”に期待する出版社 – 電子書籍情報が満載! eBook USER

 出版社はこれまで、主に新人賞の公募などで作家を発掘してきた。しかしインターネットが普及した今では「それだけでは不十分」とプロジェクト・アマテラスを担当する唐木厚氏(講談社 新事業プロジェクト部長)は話す。携帯小説ブームの最中には、人気の投稿作品が書籍化されて大きなヒットを生んだが、唐木氏は「なぜ(紙の)新人賞に応募されないのかと歯がゆい思いだった」という。作品発表の場は、もはや「賞」だけではない。

また、コンテンツのネット化や電子化が進めば、支持される作品の傾向も変わってくるかもしれない。「携帯小説の新人賞に携わって、大失敗した経験がある。紙にプリントして作品を読んでしまったが、これでは良さが伝わらない」と唐木氏。携帯で読んで初めて伝わる間や雰囲気があると、同氏は話す。こうしたメディア(デバイス)の変化を加味して作品を見極める必要があり、そのためには紙だけで才能を発掘していてはいけない――そんな危機感が唐木氏の言葉からは感じられる。

ケータイ小説でヒットした作品を、その当時の新人賞に応募して、賞を与えただろうか?

おそらく、小説として成り立っていないとか、文章が稚拙とかいって、一次選すら通らなかったのではないだろうか? 紙の本を前提としたとき、あの文体ではそれ単体では成り立たないからだ。先にケータイで読んでいて、それをリプレイする形で本として読むことで成り立っていたと思う。

まして、それをプリントして読むなんて、バカもいいところ。
テキストだけが作品の全てではないことが、まるでわかっていない。今風にいえば、Twitterをいちいちプリントアウトして読むようなもの。デバイスの画面から外に出してしまったら、腐った食べものと一緒だ。それで「この食べものは腐っている」と評価しているようなもの。

読者を編集者に……ということは、プロの編集者には時代に合った選別や才能の発掘と育成ができなくなったと認めているようなものだ。
そっちの方が問題だろう。

編集者の仕事とは何なのだ?……と問いたい。掲示板でレスをつけることなのか?

電子ブックが個人でも発行・販売できる環境が整ってきたら、出版社は中抜きされていくだけだぞ。iPhoneアプリのようにね。
こういう手段に出て行かなくてはならなくなった出版社の危機感はわかるが、同時にそれは出版社の権威というか位置づけも落ちてしまうことになりかねない。

純然たるコミュニティサイトとして運営するのなら、無報酬のボランティアで協力する人も少なくないだろうが、ビジネスモデルとして生かそうとする下心があると、なかなか思い通りにはいかないかもしれない。

「才能を買う」という意図があるのなら、「いくらで買うのか?」の提示も必要だろう。薄謝なのか数百万単位なのかで、出版社の本気度がわかるというものだ。

ちなみに印税だと約5%。無名の新人だと初版は5000部くらいからなので、1500円のハードカバーもしくはノベルスだとして、37万5000円。これじゃサラリーマンの平均所得一ヶ月分くらいだから、重版を重ねてベストセラーにならないと作家業では食えない(^_^)。毎月出版できるわけじゃないからね。

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