再び、恋愛ネタ。
 ドラマ、、映画、小説など、表現形態は違っても、恋愛は物語の重要な要素になっている。
 それは、多くの人が恋愛に興味を持っていることの表れだ。憧れだったり、夢だったり、苦い経験だったり。
 フィクションであっても、ラヴストーリーに共感したり感動したりする。
 青春時代の想い出を重ねたり、現在進行形であれば自分の今の気持ちを重ねたりする。

 男と女がいる以上、恋愛は切っても切り離せない。
 時代とともに、恋愛に対する考えかたも変わってくる。
 そんな記事。
[社会] 20代の海外旅行離れのウラ事情と心理学 | RxR | R25.jp

「海外旅行の魅力は、主にステータスと非日常的な体験です。しかし、格安ツアーが増え、海外旅行が身近になった現代では、海外旅行=ステータスと感じる人は減っています。また、映画やゲームで刺激的かつ非日常的な映像を見慣れているため、『現地に行っても、それほど感動があると思えない』と考える傾向にあるのでは? その結果、言葉も文化も違う“不便な”海外に、航空券やホテルを手配してわざわざ出向くことが“めんどくさい”と感じるのでしょう」

海外旅行に興味はあっても、結局は「不便そう」「めんどうだな」って気持ちが勝っちゃうってことなのかぁ…。

「この心理は恋愛にも見られますよ。告白をしたりデートに出かけることがめんどくさいと感じ、積極的に恋愛をしない人も増えています。便利さや都合のよさが最高の価値になりつつあるのかもしれませんね」

 海外旅行と恋愛事情を結びつけるところに、やや強引な飛躍があるような気もするが、一面的な傾向としてはあるかもしれない。
 「積極的に恋愛をしない人も増えています」というのが、どういう調査やデータから導き出されたのかが書かれていないので、根拠の説得力には欠けるが。

 この仮説が正しいとして、街で見かける若いカップルが減っているかといえば、そんなことはないように思う。主観的な感想ではあるが、むしろ、最近の若いカップルは人目をはばかることなく、イチャイチャしているのをよく見かける。
 「」の定義の問題かもしれない。
 ちょっと好きだからつきあってる……とか、寂しいからつきあってる……とか、ほかに相手いないから……というケースもあるだろうから、それを恋愛に入れるかどうか。

 異性を好きになるというのは、日々の生活が活性化するように思う。
 最初は片思いなわけだが、告白するまではドキドキワクワクの連続だ。
 告白するまでは、いろいろなことをシミュレーションしてしまう。どうやって話をするきっかけを作ろうか……とか、こうなったらいいのにと予想したり……そして、ふられたらどうしよう……とか。
 私の初恋は中学生のとき。
 しかし、告白する勇気がなくて、片思いのまま終わった(^^;)
 マイナス要因の想定ばかりが重くのしかかって、壁を乗り越えられなかった。今にして思えば、彼女の気持ちを確かめれば良かったと思うが、そのときはそれができなかった。
 記憶の中の彼女は、今でもセーラー服姿のままだ。同じように歳を取っているから、彼女も今ではおばさんだが、そういう姿は想像できない。彼女は私の頭の中で永遠に歳を取ることがない。甘くも苦い想い出だ。

 妻のときには、長いラブレターを書いた(^^)
 メールなんて便利なものがない時代だ。互いの気持ちは、手紙で確かめあった。
 手書きの手紙だから、書くときに熟考することになる。自分の気持ちを確かめながら、その気持ちを文章の中に詰め込んだ。
 いい返事が来ることは確信していた。というか、その確信がなければラブレターは出せなかったと思う。半分思いこみではあるが、そうさせてしまうのが、恋なんだと思う。
 互いの気持ちを確かめあってからは、深夜に長電話をしていた。
 そんなことがあって、1年後くらいには同棲を始めていたのだが(^^)。

 恋愛がめんどくさい……と感じてしまうとしたら、何に対してもめんどくさいと感じてしまうのではないだろうか?
 友達づきあいもめんどくさい、仕事もめんどくさい、生きるのもめんどくさい……というように。
 恋愛の根底には性欲がある。生命力の根源といってもいい。その衝動を恋愛として昇華できないとしたら、生きる力そのものが衰えているともいえるではないだろうか?

 駅の改札の脇などで、抱きあってキスしている若いカップルを見かけると……
 そんなとこでイチャイチャしてないで、ホテルにでも行けよ。
 離れるのが寂しいなら、さっさと同棲しろよ。
 と、思ってしまう(^^)。
 恋人時代だった頃の妻は、束縛の多い実家を飛び出して、ひとり暮らしを始め、私と自由に会える状況を作った。
 それから同棲を始めるのに、さしたる時間はかからなかったのだ。

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