コミュニケーションツールが進歩しても本質は変わらない(1)
コミュニケーションツールが進歩しても本質は変わらない(2)
コミュニケーションツールが進歩しても本質は変わらない(3)
……の続き。

Twitterでよくいわれるのが、同期性、あるいは同時性。
刻々とタイムライン上の発言が流れていくから、そのように表現されるのだが、じつのところあまり正しくない。

なぜなら、Twitterが文字情報であること。
思いついたことを、文字に変換する……という過程を経ることで、その思いは文字という束縛と過去形を加えられる。

100%のある思い(または出来事)が、ツイートされたときには、10%くらいに削られているかもしれない。少なくとも、ストレートではないのだ。
「今、○○した!」とツイートした時点で、今ではなくなり、何秒か、何分かが経過している。
ポストしたときには、もはやTwitterの画面を離れている場合だってあるだろう。

だが、そのつぶやきを見た人は、あたかもその人が、今そこにいて発言しているように錯覚する。
おのずと時差が生じる。

テレビの海外からの衛星中継で、タイムラグが生じて、会話がかみ合わないといった場面がよくある。映像と音声の場合には、よりリアリティを感じるから、数秒の同時性のずれが違和感になる。

だが、文字の場合には、もともと時差は織り込み済みなので、多少のずれには違和感を感じない。時差を想像で埋めてしまうからだ。

芦田氏は、同期性について以下のように触れている。

第4回 Twitterとは何か(2) | BPnetビズカレッジ:ライフデザイン | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

 かといって、それは単純な親和性ではない。同期性の高いタイムラインでは、「つぶやき」の背後に身体を有した“実在”の人物が存在しているからだ。

インターネットの検索情報とTwitter情報がもっとも異なるのは、この同期的な書き手の=読み手の同伴である。

(中略)

ブログやミクシィと違って、夜の〈反省〉時間にそれは書かれるのではなくて、今思うことの気分を「いまどうしてる?」という問いかけと共に語る。したがって、私生活や仕事の全体が見えるようになる。

Twitterが同期性があるように感じられるのは、それが文字情報だからである。
あるツイートに対して、数秒後にリツイートされたりすると、反応が即座に返ってきて、同期性らしきものを感じる。

しかし、厳密には同期しているわけではなく、タイムラグがある。
例えるなら、ドミノ倒しだ。

ドミノ倒しで、最初のドミノを倒して、次々と倒れていくことを、「同期している」とはいわない。連鎖している、とはいう。
最初のドミノが倒れるときと、最後のドミノが倒れるのは同時ではない。

Twitterは同期性が本質なのではなく、ドミノのように連鎖していくのが本質なのだと思う。
ネット上のつぶやきドミノだ。

もし、Twitterがテレビ電話のように、映像と音声でメッセージを伝えるとしたら、同期性という錯覚は起きにくいだろう。
情報量が著しく制限される文字だから、同期性の錯覚が起こるし、同期していると想像することができる。

これが映像と音声だと、衛星中継のテレビと同様に、リアルタイム性がないと会話がかみ合わなくなる。映像と音声には、文字だけとは比べものにならない情報量があるからだ。そこから、時差が生じるということは、時間軸の情報が欠落することを意味する。つまり、リアルタイムであるはずの共有感覚が失われて、違和感が生じる。

話は飛躍するが、衛星中継でタイムラグが生じるのは、いくつかの衛星を経由することで、その距離が光速でも追いつかないほど距離ができてしまうからだ。光速は約30万キロメートル毎秒だが、伝送距離が30万キロを超えると、人間の感覚でも感じられるほどの時差になる。

情報のスピードも、光速を超えられない。
これは物理法則だ。(特異な条件下で、光速を超えているような場合があることは、ここでは割愛)

仮定の問題として、双子の兄弟のうち、兄が地球に、弟は太陽系からもっとも近い恒星系のアルファ・ケンタウリに住んでいるとしよう。(アルファ・ケンタウリは映画「アバター」の舞台となった恒星系)
距離は4.37光年ある。光が4.37年かかって届くということだ。
兄と弟には、「今」という同時性の時間はある。
今、兄がくしゃみをしたとき、弟も今、くしゃみをした場合。
ほぼ同時にくしゃみをしたとしても、その同時性を確認することができない。情報は光速でしか伝わらないから、両者は4.37年後にしか情報を受け取れない。

Twitterがそんな時代にもあるとしても、兄と弟はつぶやきに同期性を見いだすことはできない。
弟は「今、くしゃみしちゃったよ。僕の噂でもしてた?」と、ツイートした。
兄が弟のつぶやきを知ったときには、4年前の出来事になっている。
タイムラインには、「4.37年前」と表示される。
兄は4年前のことは忘れていた。だが、家庭内に設置していた監視カメラの記録が残っていた。過去に遡って見てみると、弟がくしゃみしたときに、自分も大きなくしゃみをしていた。

兄は「ああ、その時は、オレもくしゃみをしたようだよ。やっぱり双子だな」とつぶやく。
弟は、ツイートしてから8.74年後に返信を受け取る。

……というような感じになる。
極端な話ではあるが、同期性、同時性とは情報の伝達スピードによって左右される。

なにがいいたいかというと、「同期性」の時差の許容範囲は、どのくらいか? ということ。
地球の表面上に張り巡らされた回線を情報が伝わる速度の遅延は、時差を感じないほど微々たるものである。これが、衛星回線を通じた伝達だと、経路によって数秒の時差が生じる。

3秒までは同期性は崩れないのか、5秒を超えると同期性が崩れるのか?
映像と音声の場合には、1秒でも同期性が崩れる。

ところが、画面に表示する文字情報だと、5秒くらいの誤差は吸収されてしまう。
それは、文字という特質のためだ。

これは実験してみて欲しいのだが、ツイートしてからそれを読む人が、何分後~何時間後までなら、「今」と感じるか?
だが、これにはトリックを仕掛けることが可能だ。

「何分前」という表示が、タイムラインの時系列を確認する唯一の手段だから、実際には1時間前にポストされても、それを受け取る側の表示に1分前と表示されれば、「ついさっき」と思い込んでしまう。
じつのところ、同期性を検証する手段が乏しい。

「ブログやミクシィと違って、夜の〈反省〉時間にそれは書かれる」
というのも、ケースバイケースだろう。

私がファンでもある中川翔子は、1日に何回も書き込むことで有名だが、彼女のような使い方は〈反省〉時間に書いているわけではない。一方通行ではあるが、時々刻々と自分の「今」を書いているわけだ。彼女がTwitterの使い道が見つからなかったというのは、言い得て妙だ。
私の場合も、別に〈反省〉時間に書いているわけではない。

もっぱら、仕事場から、時間が空いているときに書いていることが多いのだが、そのとき、思いついたこと、考えていることを、つらつらと書き飛ばしているだけだ(^^)。仕事がら、返事待ちの待機時間がけっこうあるので、その時間を利用している。

そんな私も、Twitterの使い道というか、必然性がなかった。
140字で書けることは限られているし、「いまどうしてる?」と些末なことを書くことに意味が見いだせなかった。いちいちそのために、入力することが煩わしかったからでもある。

しかしまぁ、Twitter小説という形での使い道を見つけたので、ときどき書いている(^^)。
じつは、Twitterのアカウントは複数持っていて、別のアカウントではフォローしている人たちのつぶやきを眺めていたりする。とはいえ、そこに同期性とか誰かの日常に同伴しているというような感覚は乏しい。

あまりに書き込みが多いと、それを追うだけで時間がかかってしまって、もはや同期性など無意味になってしまう。サッカーのW杯のハッシュタグのときは、特にそうだったね。ブブゼラの大音響で、個別の声が聞こえないのと同じだ。
ある一定量の書き込み数とフォロー数を超えてしまうと、同期性は意味をなさなくなる。ただの雑音と化す。

(さらに続く…)

コミュニケーションツールが進歩しても本質は変わらない(4)
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