ネットやTwitterに関する考察をしている記事があった。
なにやら小難しい理論(?)を展開しているのだが……

う~む、何度か読み返したが、いまいちピンとこない。
指摘されていることに、部分的には同意するものの、こじつけのような気もする。

第4回 Twitterとは何か(2) | BPnetビズカレッジ:ライフデザイン | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

 多チャンネルになるということの本質は、人は見たくないものを見ないですむようになったということだけのこと。HDDレコーダーの容量が2テラ、3テラになっても事情は変わらない。

たとえばリモコン操作によって、見たくないシーンがでてくるとすぐにチャンネルを変えてしまう、という状況を考えれば、それはすぐにわかる。テレビ操作のリモコン化も、たくさんのチャンネルを見る可能性を広げたというよりは、見たくないものを見ないですむようになったというだけのこと。

携帯電話も「いつでもだれとでも」連絡が取れることによって、他人との出会いが広がっているわけではなく、すでに特定化された個人との出会いが緊密になっているだけ、つまり話したくない人とは話さないだけのことだということ。

電話が家庭の中で一台、リビングにしかなかった時には、お父さんやお母さんという“障害物”を乗り越えないと彼女とは話せなかったが、携帯電話や携帯メールによっていつでも彼女と連絡が取れる。

お父さんやお母さんの存在はそれを超えてでも彼女と連絡が取りたいというまじめさや熱心さのフィルターの役目を果たしていたが、今では誰とでも容易に連絡が取れるため、彼女の方も「反省と比較の考察」なしには、彼を「選ぶ」ことが出来なくなっている。

彼女は彼と「出会う」のではなくて、彼を「選ぶ」のである。彼も彼女も「異端」なのであって、男女関係もまた自己表現の材料に過ぎない。

下線は私がつけた。
氏の論考の意図はわかるのだが、どこか違和感がある。
その違和感はなんなのだろう……と、考えてみると、下線部分にあるような結論付けが腑に落ちないからだ。

たしかに、コミュニケーションのためのツールは進歩・変化した。
それによってツールの使い方やコミュニケーションの質が変わったことは確かだろう。

だが、それは表面的な問題というか、ツールが違うから違う使い方をしているだけなのではないか?
本質的な部分は変わっていないと思うのだ。

固定電話と携帯電話の違いから男女関係の話に展開されているが、一例として面白いものではあるが、ツールの違いがなくても、『彼女は彼と「出会う」のではなくて、彼を「選ぶ」』という傾向は、起きるのではないか?

見方を変えれば、女性が強くなって男性が弱くなったから、選択権を女性が持つようになった……という解釈でも成り立つ。それは男女雇用機会均等法以来の社会の変化だ。
……というように、電話を持ち出さなくても説明できてしまう。
固定電話しかなかった時代でも、私は彼女に電話するのに、親がいるからとためらう理由はなかったけどね。よく深夜に長電話していたものだ(^_^)。

Twitterのタイムラインについて、その機能と効果のことが書かれていたりするが、私から見れば掲示板やチャットと大差ない。Twitterの使い方の問題でもあるが、四六時中Twitterのタイムラインに張り付いているわけではないから、リアルタイムというのはあまり感じないし、リアルタイムである必然性も感じない。

何分前、といった時間が記されていても、だからどうだというのだ? それが1時間前だろうが、1週間前だろうが、1年前だろうが、その書き込みを読む段階では「過去」である。

近い過去か遠い過去かの違いで、私の現在とは切り離されている。
そもそも文字であり文章であるという時点で、それはリアルではない。言葉を介したきわめて不完全な情報に過ぎない。
つぶやきの背景に、実在の人間がいる……というのも、ある種の幻想だ。

書いたヤツはいるわけだが、それが誰なのか知りようはないし、本当に当人が書いたのかも知りようがない。プログラムが書くことも、他人が代筆することも容易だからだ。
リアルがあると思っていることが、リアルではない。

Twitterの本質というか、Twitterに夢中になる人たちというのは、リアルな幻想を共有しているのではないか?
タイムラインという「仕掛け」によって。

文字数制限というのも「仕掛け」だ。
制約された条件は、想像の余地を生む。情報が制限、あるいは断片化することで、足りない部分を読み手が想像で補っているのだ。
足りないパズルのピースを、読み手が想像で埋める。

たわいのない日常のつぶやきは、断片的だ。
「今、起きた」「飯を食った」「電車が遅延中」……などといった些末なつぶやきは、取るに足りないが、その断片的な言葉から、読み手はつぶやきとつぶやきの間を、想像で埋める。実際はどうだったかはともかく、彼(もしくは彼女)の行動や思考を、頭の中でイメージしてしまう。辻褄を合わせるわけだ。
それで理解したような気になる。

「共同幻想」だ。

なにかに似ていると思ったら、これは洋画の字幕を読むのに似ている。
そうか、Twitterは字幕なのだ。

ある人物の日常のドラマに付けられた、要約の字幕だ。
英語のヒヤリングができないと、意味がわからないから字幕を見る。Twitterの向こう側にいる人物の実体が見えないから、Twitterでその人物の行動を追っているようなものだ。

……長くなりそうなので、続きはのちほど。

コミュニケーションツールが進歩しても本質は変わらない(2)
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