iPadの衝撃……となるか?

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iPad 第1世代(2010年)

iPad 第1世代(2010年)

 iPadの発表後、各メディアでの取り上げ方や評価は、おおむね高いようだ。
 タブレットPCは他社も発表・発売しているが、ここまで注目されることはなかった。
 それだけ、Appleがもたらす影響が大きいということだろう。
 PCでのシェアとしては小さなAppleだが、業界そのもののトレンドを作ってしまうことでは、大きなシェアを持っているともいえる。
 今後、iPad似の類似品が、いろいろと出てくるものと予想される。

 「大きなiPhone」などとも揶揄されているが、見た目はそうでも、使用目的は違うようだ。
 発表会では、動画やゲームが優先的に紹介されていたが、じつは本命は電子ブックなのだろうと思う。
 アメリカを始めとした英語圏では、電子ブックの普及が進んでいる。紙の本も平行して出版されているものの、コストが極めて抑えられる電子ブックは、出版不況に苦しむ出版社にとっては、新たな可能性なのだろう。
 また、販売対象が世界になることで、市場の開拓にもなる。
 iPadは、そこにスタンダードな端末として受け入れられるかどうか。

 そんな記事が以下。

「電子書籍後進…日本にも「iPad」の衝撃」:イザ!

 米アップルが27日にタブレット型コンピューター「iPad(アイパッド)」を発表するなど欧米で電子書籍市場が拡大する中、普及が遅れている日本にも、いよいよ活字の電子化の波が押し寄せてくる可能性がある。

(中略)

 野村総合研究所の藤浪啓上席コンサルタントは「新聞などの情報メディアが電子媒体へと切り替わっていく動きは不可避で、新しい媒体に合わせたコンテンツを作ることが重要になる」と指摘し、メディアの変革を予測している。

 日本がIT立国などといっていたのは、いつのことだったろうか?
 じつのところ、IT化しやすいのに、一番遅れているのが出版界だったりする。
 その原因は、伝統的な……というか、古い体質の流通・販売方法にある。加えて、出版社の内部の体制とか仕事の仕方も、伝統的な……というか、保守的で効率の悪い環境から抜け出せないでいる。

 一例を挙げると……
 私が仕事として行っているDTPは、すべてがパソコン(Macintosh……それも、いまだにOS 9環境)上で作業している。つまり、この段階では完全にデジタルなのだ。
 完成したものは、データとして納品するわけだが、メールやFTPでの受け渡しが可能であるのに、MOやCD-Rにデータをコピーして、手渡しかバイク便で送るという、物理的な方法になっている。
 なんともバカらしい行程だ。コストも時間も手間もかかる。
 また、出版には「校正」という、チェック行程があるのだが、その方法は、プリントアウトをFAXで送信して、手書きの指示を記入したFAXが送り返されてくる……という、20年前(現在年からは34年前)と変わらない作法になっている(^_^)。
 せめてPDFをメールで送って、PDFに指示を書き入れてくれれば、まだ効率はいい。FAXでは解像度が荒く、モノクロになってしまうから、細かいところの判読ができないことがよくある。
 理想的には、サーバーを介して、複数のスタッフ間で作業環境を共有することで、作業ファイルの新旧の混在や間違いを防止することもできる。
 部分的にはデジタル化しているものの、肝となる部分……おもに通信・連携部分では、アナログのままなのだ。640MBの入稿データ(MO)を、バイク便で30分くらいかけて運んで、手から手へ……という姿を想像して欲しい。
 笑い話だ(^_^)。
 FTPを使って、アップロード→ダウンロードすれば、デスクトップからデスクトップへ、せいぜい数分で終わる。
 なぜ、それができないかというと、第一に機器やアプリケーション環境が整っていない。こちらにはあっても、向こうにはない、といったギャップがあるために、先方の環境に合わせるしかなくなる。
 第二に、より効率的なIT環境を、使いこなせる人が少ない。機器やアプリケーションがあったとしても、宝の持ち腐れで使えないのだ。
 制作そのものはデジタルで作っているから、電子ブックとして変換することは容易だ。
 しかし、印刷の出版にするためには、印刷機にかけるためにアナログの行程に戻さなくてはならない。デジタル印刷機というのもあるにはあるが、数千~数万部単位の印刷では、昔ながらの印刷方法の方がクオリティは高い。

 出版にもデジタル化は浸透しつつあるが、まだまだ旧態依然とした部分も多い。時代の先端を先取りすべきメディアがこれでは、情けない。結局、中の人間が古くさいままなのだ。

 また、出版にはつきものの「著作権料」については、以下のような記事がある。

「価格の70%を著者らに配分 米アマゾン、電子書籍で」:イザ!

 米インターネット小売り大手のアマゾン・コムは20日、同社の電子書籍端末「キンドル」で扱うデジタル書籍の販売価格の70%を著者や出版社などに配分する新しい仕組みを6月30日から導入する、と発表した。

(中略)

 アマゾンによると、米国では通常、著者は書店での販売価格の7~15%程度の著作権料を受け取ることが多いという。

 著作権料は、日本でもだいたい同じくらい。
 作家はこれで食ってるわけで、この比率が多くなれば食えない作家が減ることになる。
 紙の本の場合、紙代、印刷代、流通代などの物理的なコストが大部分を占めるために、作家の取り分が減る。電子ブックになれば物理的なコストはほぼゼロになるため、その分を作家や出版社に分配できる。同時に、著作物の価格も下げられる。
 とはいえ、中抜きをするということは、そこの部分を仕事としている人たちがリストラされることを意味している。
 業界の仕組みそのものが変わるため、既得権益を持っている人たちは反対する。
 しかし、これは制作環境がDTPになったときに、すでに起こっている。かつては、写植屋さん、製版屋さんなどの職人が必要だったが、今では不要になってしまった。印刷所の近くには、何軒もの写植屋があったものだが、現在ではほとんどがなくなった。かつて写植をやっていた会社で生き残っているところは、DTPを請け負うようになったところだ。

 iPadの衝撃が出版界を変えるかどうか?
 それは出版界が、デジタル環境に即した体制へと変われるかどうかだ。いち早く電子ブックの波に乗って、ビジネスモデルを確立したところが、生き残っていくのだろう。

 ただし、日本国内ではもっと大きな問題がある。
 それは「日本語」という言語だ。
 電子ブックであれば世界をターゲットにして販売できるのだが、日本語の出版物は日本人にしか意味がない。つまり、結局は日本国内の狭いパイでしか商売ができない。英語圏はほぼ世界中に広がっているから、桁違いに顧客は多い。
 音楽の場合には、歌詞が日本語であっても「音」としてそのまま通用する部分はある。
 しかし、本はそうはいかない。
 日本の電子ブックが普及しないのは、そのへんの事情もある。

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