情報社会の現在と未来


 映画『2001年宇宙の旅』は、20世紀中盤の時期に、来るべき21世紀の世界をイメージした作品だった。

2001年宇宙の旅 [Blu-ray]
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 『2001年宇宙の旅』をハイビジョン化した映像を見たことがあるが、元々のフィルムに記録されていた細部のディテールが再現されていて、これがなかなかの感動だったりする。
 2010年の現在に、この作品を見たとき、いつのまにか21世紀に生きている私たちとはかけ離れた世界にもなっている。
 テクノロジーとして実現したものと実現していないもの。
 進歩は直線的ではなく、浮き沈みしながら、ときには停滞しつつ、回りくどく進んでいく。
 純粋に科学的な野心だけで進むのではなく、政治的、経済的な要因で道は変わり、進むスピードも変わる。

 そんな『2001年宇宙の旅』と現在を比較した記事が以下。
 これは、なかなかよく分析された記事だ。

ウェブが人間を司る社会/山本一郎(イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役)(Voice) – Yahoo!ニュース

『2001年宇宙の旅』では、残念ながら乗組員たちは人工知能と真のパートナーシップを築き上げることができなかった。しかし、情報を価値観や信頼度に基づいてレーティングし、対人インターフェイスでは人格をもつ知能が適切なガイダンスを操作者に与える、というコンピューティングは、いままさに必要とされている情報技術の終着点を示しているともいえる。

 同様に、過度にコンピュータに頼った社会の危険が、どのようなかたちで表出するのかについても示唆している。いまでこそ、子供に携帯電話を買い与えるか、著作権の問題、ネットの匿名・実名性の問題などが騒がれているが、すべては多大な情報に社会のリテラシーはどう向き合うかという課題に尽きる。未来の情報社会である2020年を考えたとき、もっと異質でグロテスクな問題を人類社会は抱えているかもしれない。幼稚だが確実に自我や知能をもったコンピュータにどのような権利を与えるか、人類社会が人間以外の代物に人権を与えるか、というような。それは、意識とはどこから来るのか、という人類の永遠の問題に、片側から光を当てる議論にもなるのだろう。

 コンピュータがHALのように自我を持つかどうかは、今のところ未知数。
 そもそも「自我」とはなにか?
 という問いの答えが明確ではない。

 現在の情報社会は、人類の太古の歴史に例えることができるかもしれない。
 「ネットは無料」といった風潮は、森や海から狩猟採取していた原始人の社会だろう。
 収穫はそこにある「無料」のものを手に入れて、自給自足。
 つまり、現在のネット社会は狩猟採取時代なのだ。
 あらゆる情報が無造作に存在していて、自由である反面、弱肉強食、リスクも大きい環境だ。
 次に来るべき時代は「農耕」のようなもの。
 計画的に作物を育て、収穫を得て、群れとしてではなく、秩序ある社会としての基盤を作っていったのが農耕文化だ。
 現在は、その転換期にあるのだと思う。
 無料が当たり前になっているネット社会に、いかにして新しい秩序をもたらすか……それは、情報は無料ではなく、種を植え、育て、最適な時期に収穫するといったネット社会秩序の構築だ。

 新聞、、放送といった既存のメディアは、ネット時代でのビジネスモデルを構築できずに……というか立ち後れて苦慮しているが、ビジネスモデルそのものよりも、ネット社会の新しい基盤を作ることにこそ、未来がある気がする。
 安易に無料モデルに迎合すると、ますます自分の首を絞めることになる。
 10年後……。
 どんな世界になっているのか……、見ることはできるかな?
(というのは、あと10年も生きているのかな? と、思っているからだ(^^))

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