昨日のW杯最終予選、日本 vs カタールはストレスのたまる試合だった。
 いつもベストの試合ができるわけではないが、見ていて充実感のない試合は疲労感だけが残ってしまう。
 勝てたはずの試合が勝てないと、ストレスは増してしまう。

 カタール戦についての記事やコラムをいろいろと読んでいるが、その多くが失望感を表していた。
 主力を欠いていたこと、ウズベキスタン戦から帰国したばかりの試合で疲労が蓄積していたこと、出番の少ない選手が代役として出て機能しなかったこと……等々、いろいろと問題点が指摘されている。

 それらの論評の中で、私も同感だと思ったのが、以下の記事。

スポーツナビ | サッカー|日本代表|寂しき凱旋試合(2/2)

 それでは、日本が2試合続けて“自分たちのサッカー”ができなかったのは、なぜか。この問いに対しては、先に挙げたエクスキューズは、いずれも当てはまらないだろう。むしろ、もっと根源的な部分に問題があったように思えてならない。ここでヒントとなりそうなのが、この2人のコメントである。

「ボールをつなぐことに急ぎすぎている感じがした。もっとゆっくりつないで、相手がバテるのを待ってもいい」(松井)
「代表のサッカーは、基本的にボールを回すサッカーという印象だけど、それがはまらなかったときの打開策が少ないように思う。(パス回しの)質を上げるのも大事だけど、試合の流れを変えるとか、そういう役割を担う選手も必要」(本田)

 松井も本田も、ヨーロッパでの実績を持ちながら、現在のチームではレギュラーポジションを獲得していない選手である。そして両者とも、的確なパスワークよりも、むしろ挑むようなドリブルや強引なミドルシュートを得意とする“異端”の存在だ。

 主力を欠いていて、本田と松井を先発させなかった、ということが、現在の日本チームの問題点を象徴しているように思える。
 岡田監督は、欠場した遠藤と長谷部を「このチームのへそ」と形容したが、本田や松井は突破力を担う「アキレス腱」ではないだろうか。
 アキレス腱とは……

人体で最も強く最大の腱で、歩行や跳躍などの運動の際に必要である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)

 である。
 岡田監督はパスサッカーを掲げているが、そこにはアキレス腱がなく、瞬発力が乏しい。パスは回っても、決定力が伴わないのは、そのためだろう。
 アキレス腱は強者の弱点という比喩にも使われるが、リスクがあるのも必然だ。
 松井はドリブルで突破することもあれば、突破できずにボールを奪われてしまうこともある。リスクを恐れずに攻めていくというのは、いつも成功するわけではない、ということでもある。
 だが、パスサッカーに依存しているチームは、リスクを恐れ安全策へと逃げている感じがする。
 それが、もどかしい試合展開になってしまっている。

 岡田監督は就任当初のちぐはぐなチーム作りから、紆余曲折の末、ある程度いいチームに仕上げてきたと思う。前監督のオシム流を否定していたが、辿り着いたのは走るサッカーであり、パスサッカーだった。回り道をしてしまったが、オシム流の岡田流解釈だったのではないかと思う。
 また、岡田監督の選手起用を見ていると、岡田監督の言うコンセプトとか指示に従順に従う選手を、好んで使っているように思う。意思統一は必要ではあるが、聞き分けのいい子ばかりでは、たくましいチームにはならない気がする。
 中村俊輔が代表チームでは、攻撃の起点になっているとはいえ、つなぎに終始して埋没していたり、大久保が以前の野性的なプレイから、ずいぶんと大人しくなってしまったり……、個性的な「アク」が消えてしまった。
 先発では岡崎が気迫を見せていたが、試合数をこなしていくうちに、彼も従順な羊になってしまうのだろうか?…と、懸念してしまう。

 代表チームがこの先「化学変化」を起こすかどうかは、異端児である本田や松井を、どう使いこなすか?…ではないだろうか。
 とはいえ、人は自分の流儀を簡単には変えられないものである。
 岡田監督は信念もあるだろうが、頑固でもあると思う。
 本大会で本田と松井を先発させるという、サプライズなことは……できないだろうなーと思ってしまう。

 ともあれ、次戦のオーストラリア戦に、可能性を期待する。

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