人はなぜ人に似せたロボットを作りたいのか?
 工学技術が発展する以前から、人は想像や物語の中でも人に似せた「造物」を作ってきた。ゴーレム、ホムンクルス、様々なモンスターや妖怪、比較的近代ではフランケンシュタイン等々。神話の世界の神々ですら、考えようによっては人型のロボットに通じるものがある。
 その背景には「死生観」があるのだろう。
 人はいずれ死ぬ。短い人生ではできることにも限界がある。それゆえ、死なない体、永遠に生きる、全知全能……といったものに、強い憧れをもっている。
 人間を超える存在というのは、絶大なパワーを意味する。
 そのスーパーパワーをロボットに求める。
 それも一理ある考え方だ。
 で、以下の引用記事。

人とロボットの秘密:第5章-1 ガンダムのふくらはぎと「システム生命」 (1/3) – ITmedia News

 番組の初期設定ではこのパワードスーツの大きさもより人間に近く、数メートルという設定だったという。しかし、それでは一体感はあっても“スーパーパワー”が感じられない。結果、18メートルの設定に落ち着いたのだが、これがちょうど巨大ロボットものの元祖である『マジンガーZ』と同じ大きさだったわけである。

 確かにね。
 ガンダムはちょうどいい大きさだったのだろう。
 18メートルというと、かなり大きいような印象があるが、現存する戦闘機のF15の全長が19メートル弱で、それほど巨大というわけではない。航空ショーでF15を間近に見たこともあるが、横から見るとそれほど大きくは感じない。
 現在、実物大のガンダムをお台場に建設中だが、垂直に立つと18メートルでも巨大に感じるから不思議だ。
 その理由は「人型」だからだろう。
 人型でないロボットは実用的に利用されたりしているが、人型ロボットにこだわるのは、人型であるがゆえに感情移入してしまうからではないだろうか?
 うがった考え方をすると、ロボット研究者の多くが男性であることとも関係しているかもしれない。
 というのは、女性は子どもを産めるが男性は産めない。子どもは男女の遺伝子によって生まれるわけではあるが、男性は直接的に子どもを産むという経験をしない。
 自分の手で、自分の分身ともいえる「子ども」を作り出したい。それが人型ロボットを追求する、本能的な欲求ともいえるのではないか。鉄腕アトムが亡くなった我が子の代わりとして作り出されたのは、象徴的な動機だといえないか?

 姿として人間に似せることは、かなりリアルにできるようになった。
 あとは、動作や反応を、よりリアルにしていく段階になった。
 人間らしさを人工的に作り出そうとしたとき、人間らしさとはなにか?、という根源的な問題にぶつかった。
 人間になりたいと願ったピノキオのように、ロボットが人間になることを夢見るようになる日は、いつかくるのだろうか……。

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