いつの時代も繰り返されることのひとつが、
「最近の若者は……」という懸念。
 昨今のめざましい技術の発展や社会の変化がなかった時代ですら、「最近の若者は……論」はいわれてきた。
 老練な大人たちが、子どもたちの変化に危惧しての論法だが、世代が変われば時代の空気も変わるのが常。
 ここ30~40年の間にも、何度となく同じようなことがいわれ続けた。そして、新しい世代を象徴する名称が付けられた。太陽族、団塊の世代、新人類、バブル世代、ゆとり世代、プッツン世代……等々。最近ではデジタルネイティブ、草食男子とか肉食女子など、なにかにつけて世代をカテゴリしたがる。
 だが、こうした世代論は、ある一面的な部分を捉えているだけで、突出した一部の人たちが該当するにすぎない。何の問題もなく、健全に育っている子どもたちの方が多いはずなのだ。
 世代論でくくってしまうと、近視眼的なものの見方になってしまうことも少なくない。

 以下の記事も、そうした「ん?」と疑問に感じてしまう論法だ。

NHKが社会人向けにワンセグ専用放送開始大河ドラマや料理番組で良いわけがない (nikkeiBP on Yahoo!ニュース)

 だが、世の中が便利になるのに比例して私たちが幸せになるとは限らない。確かに携帯電話やインターネットのメールが普及して、人と人とのコミュニケーションが密になったとも云えるけれど、直接触れ合うことが極端に少なくなってしまった子供たちは、精神的に脆弱になってしまった。そんな子供たちが成長した社会はどうなってしまうのか空恐ろしい気もする。

 記事はワンセグ放送のコンテンツについてのことなのだが、その記事の中で、最近の子どもたちの傾向について危惧している。
 ワンセグ放送については、現状の内容では、さほど必要性を感じないというのが正直なところだ。外出先でわざわざ見るような番組など、ほとんどないだろう。
 例外的に、WBCのような熱狂するスポーツ中継を、仕事先や移動中に気になって見たくなる、ということはある。
 あとは待ち合わせなどで、時間をもてあましているときの暇つぶしくらいだ。もっとも、暇つぶしは、携帯ゲーム機やiPodでも十分なのだが。
 ワンセグに特化したコンテンツが必要ということについては異論はないが、かといってワンセグが主流になることはないのではないか? 所詮、暇つぶしアイテムのような気がする。

 で、そんな技術の進歩で登場する各種電子機器が生活を便利にして、それによる子どもたちの変化が恐ろしい……と、展開されている。
 論法としてはこうだ。

  携帯電話やインターネットのメールの普及
   ↓
  直接触れ合うことが極端に少なくなった
   ↓
  精神的に脆弱になった
   ↓
  子供たちが成長した社会が恐ろしい

 こういう展開は、風が吹けば桶屋が儲かる……的な発想だ。
 たしかに、そういうケースに当てはまる子どももいるだろう。だが、それは少数派だ。もし、全部が全部こんなことになってしまったら、それこそ国家の破綻、人類の破綻である。太古の昔から、社会の変化とともに最近の若者は……と憂いていたのだから、とっくの昔に、人類は滅びていてもおかしくない。
 技術の進歩で、表面的には加速度的に変化しているようにも見えるが、じつのところそんなに天地がひっくり返るほどの変化はしていない。ちょっと目先が変わった、ツールが変わっただけだ。
 子どもたちは新しい環境に柔軟に適応する。むしろ、適応できずにオロオロしているのは大人の方だ。

 マスコミの風潮として、衝撃的な事件や先鋭的な事例があると、あたかもそれが全体像であるかのように取り上げる。少年犯罪などに顕著だが、たったひとりの起こした事件が、すべての子どもの姿であるかのように錯覚する。大人の評論家たちは、社会が、子どもたちがと騒ぎ立てるから、さらに錯覚が広がる。
 その錯覚され、歪められた子ども像が、関係のなかった子どもたちにもフィードバックされて、模倣犯のようにあとに続く。
 世代的な特徴として言葉がブームになると、それに影響されて「自分は○○世代だから、こういう性格なんだ」と、自分自身を再構築してしまう。
 前のエントリでも取り上げた「草食系」というのも、メディアで煽られた結果「自分は草食系だ」と思うようになっている。その言葉が一般的ではなかったときには、「なに、それ?」と思ったはずだが、周りが「草食系? それとも肉食系?」と問うようになると、自分は○○系と当てはめてしまうのだ。
 これはある種の洗脳だ。
 周りの空気に合わせる国民性でもある。
 本当に大多数が草食系で、恋愛に興味がなく、性欲がなくなってしまったら、誰も子どもを作らなくなってしまう。日本人は滅びるしかなくなる。
 だが、けっしてそんなことにはならない。
 草食系というのは、ただの「空気」でしかない。

 ごく普通に、健全に育っている子どもたちは、ニュースにはならない。平凡すぎるからだ。異常あるいは異質で特異な子どもたちだけが、ニュースになる。ニュースとは日常から外れたものが注目を集めるからだ。
 大多数の子どもたちは、いつの時代もごく普通に育っている。だからこそ、社会は破綻することなく成り立っている。
 変化はしている。変化しない社会などあり得ない。100年前と100年後が同じ社会であるはずがないのだ。
 今の子どもたちが大人になり、社会を動かす中心になったとき、その時代なりの適応力で世界は回っているはずだ。
 ネガティブな要素ばかりを強調するのではなく、ポジティブな面にも注視するべきだ。
 いい面と悪い面は、表裏一体なのだから。

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