「グーグーだって猫である」感想

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 やっぱり観に行ってしまった(^_^;……「グーグーだって猫である」
 私がブログにちょこっと書いたこともあってか、妻が観に行きたいといった。
 日曜の夜に行ったが、公開したばかりだというのに、お客は少なかった。まぁ、満席状態の映画というのも少ないのだが。
 以下、ネタバレもあるので、その点はご注意。

 映画としては、そんなに評価の高い作品ではないと思う。
 ストーリー的には消化不良の部分もあったし、見せ方としても吉祥寺観光ガイド的な部分が蛇足に感じた。
 それでもなお、猫にまつわる物語であることが、うちで飼っている猫たちのこととだぶって目が潤んでしまった。
 この映画は……

猫好きのための映画だね。

 猫を飼っていて、猫を亡くしたことのある人には、切ない物語だ。
 現在うちで一番年上の猫は17歳。
 前にも書いたが、最近、日に日に衰えている。食べることがあまりできなくなり、病院で点滴を打ってもらいに行く毎日。もうそれほど先が長くないことはわかっているが、今日も生きていた……と、その日が1日でも先であることを祈る日々だ。
 猫たちの方が先に死ぬ。
 そのことはわかっていても、猫たちと一緒に生きていくことはやめられない。彼らと過ごした時間は、楽しく、貴重な時間だからだ。1日、1日が大切であることを、彼らが教えてくれる。
 映画を見ながら、うちの猫たちのことを思い出してしまった。

 予告編で『犬と私の10の約束』を流していた。DVDの発売の予告編だ。本編は見ていないが、予告編で目が潤んでしまった(^_^;
 「犬の十戒」をテーマとした映画だが、「猫の十戒」バージョンもある。猫の十戒の方が、猫についての現実的な教えになっているが、犬の十戒は猫にも当てはまる。
 特に、「私が死ぬとき、そばにいてください」というところ。
 今まで看取ってきた猫たちのときは、最後のときはそばにいた。これからもそうしたいと思っている。だが、昼間会社にいて、不在のときに逝ってしまうこともありえる。そうならないように願っているが、いよいよ危なくなったら会社を休んででもも看取ってあげたい。

 映画の話に戻そう。
 「グーグーだって猫である」で、もうひとつ良かったのは、小泉今日子が綺麗だったこと。
 昔のアイドルだった頃のイメージが強かったのだが、歳を重ねた女性として美しいと思った。
 監督のコメントが的確に表現しているように思う。

「小泉今日子は人間じゃないみたい」 – 3年ぶりの映画主演作は上野樹里と | エンタテインメント | マイコミジャーナル

小泉の印象を「人間じゃないみたい」と表現するのは犬童監督。「妖精みたいなんですよね。撮影が終わるとふっと遠くにいるんですよ。でも、必要な時は近くにいる。ほんと、人間じゃないみたいな感じ」と、小泉の不思議な魅力を語った。

 もうひとつ、別記事からのコメント。
映画インタビュー:「グーグーだって猫である」犬童一心監督に聞く 「大島漫画の魅力出せたら」続編にも意欲(まんたんウェブ) – 毎日jp(毎日新聞)

 「現実と非現実の境界があいまいになっていることがリアルだ、というつもりで撮りました。それが大島さんの漫画の魅力でもあり、見る人に迫ってくるのは、そこだと思うから。大島さんは、サバ、グーグー……一つ一つのエピソードを語っていき、猫ってこうだよねっていうような断定的な描き方をしていない。答えを急がないで、一つずつをちゃんと見せている。映画でも、グーグー、麻子さん、(上野樹里さんが演じるアシスタントの)ナオミさん……それぞれ一つずつ見せていって、最終的に俯瞰で見たときに全体として受け取れるものがあればいいなと思いながら作りました。だから、出てくる人、動物はみんな等価値。この映画の中で、小泉(今日子)さん演じる麻子と井の頭動物園のゾウの花子は同じ価値なんです」

 映画として見た場合、派手さはないし、どんでん返しもない、シンプルで地味な映画だと思う。映画の中で、現実と虚構が交錯して、淡々とした時間が流れている。
 擬人化したサバの出てくるシーンは、クライマックスになっているのだが、見せ方というか映像的な作り方が物足りなかった。あのシーンの作り方で、映画の印象は大きく変わったはずである。残念な部分だ。
 パート2を作るみたいな話も出ているが、難しい気がする。サバの死とグーグーとの出会いという、重要なエピソードをすでに描いているため、それを超える物語は作りようがないのでは?……と思う。

 ともあれ、猫好きな方は、見て損はないと思う。

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