『崖の上のポニョ』感想


 昨日、『崖の上のポニョ (監督 宮崎駿)』を観てきた。
 メディアの評価やファンの評価が、賛否両論で分かれているのを、前もって知っていての観賞だった。
 感想を一言でいうなら……

面白くないわけではないが、感動するほど面白いわけでもない。

 ……と、煮え切らない評価になってしまう。
 宮崎作品のいくつかは大好きなだけに、期待が大きいこともある。その期待を満たしてくれるか、それ以上の感動がないと、手放しで「面白い!」とはいえない。
 そういう意味では、期待される監督の辛いところかもしれない。
 以下には、ネタバレもあるので、まだ観ていない方は要注意。

 まず、目についたメディアでの関連記事をピックアップ。
シネマの週末・甘辛クロスビュー:崖の上のポニョ – 毎日jp(毎日新聞)

 宮崎作品は「もののけ姫」以降、物質文明批判などのメッセージ性が強まったが、今回はトーンダウン。「となりのトトロ」に代表される素朴で懐かしさを感じさせる世界に回帰した。いつのまにか童心の世界に浸り、素直な気持ちで物語に見入ってしまうのである。ポニョの父親の不思議など、説明のない部分はあるが、想像力を少し発揮してほしい。汲々(きゅうきゅう)として暮らす大人たちにも、安らぎの時間が約束されるだろう。(鈴)
(中略)
 ああ、それなのに。「海の母」が記号的美人として登場するあたりから、いつもと違う雰囲気に。「もののけ姫」で野性の少女と人間を対峙(たいじ)させ、「千と千尋の神隠し」で10歳の少女に試練を与えた宮崎監督が、5歳の男児にはずいぶん手ぬるい。宗介の誓いを阻む障害はあっけなく解消し、世界はたやすく守られる。今さら「となりのトトロ」の素朴さに戻られても……。頑固でとっつきにくい人のままでいてほしかった。(勝)

宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』がいよいよ公開!! 新境地となった「海」と「母親」の描かれ方とは? – 日経トレンディネット

 海を描き、母と子という人類に普遍の問題を取り上げ、宮崎アニメの新境地を見せた本作だが、母と子の理想的な関係を追求するあまり、愛に溢れたおとぎ話に見えてしまうきらいもある。「理想的な関係でない子はどうしたらいいのか?」といった問題は脇に置かれてしまっているのだ。

「ポニョ」はきっかけを与えてくれる映画 鈴木敏夫プロデューサーに聞く : 100人のジブリ : ジブリをいっぱい : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

――死の匂いで満ちていながら、強い生を感じる作品だと思いました。

鈴木 なるほどね。あっちの世界に行って帰ってくる話というのは、これまでも描かれてきた題材だし、宮さんも取り組んできました。「ポニョ」でそれを突き詰めたと言えるかもしれない。生命が誕生する間際には、死がすぐそばにあるんですよ。生きていくのも同じじゃないですか。

 宮崎監督はこの映画を、「子供たちのために作った」というようなことを言っていたが……
 正直なところ、この映画は子供たち(主人公の5歳の子と同じくらいから、10歳くらいまで)が観て、楽しめるものにはなっていないと思う。
 絵的にはやさしいけれども、内容的には難解なのだ。
 なぜ難解なのかといえば、セリフで語られる物語の背景が「大人の視点」であったり、言葉そのものが難解だったりするからだ。
 また、子供なのに子供らしくないセリフがあったりしたのも違和感があった。
 細かいことだが、「しめしめ……」と事態の好転を喜ぶセリフなどは、今の子供はそんな言い方はしないだろうと、引っかかってしまった。子供の宗介が狂言回し的なセリフで、事態を説明する部分などにも違和感を感じた。
 宗介が子供らしくなかったのだ。
 本来の狂言回し役はフジモトなのだが、見た目の存在感とは裏腹に、あまり物語の中では重要な役割を果たしていなかった。
 海なる母のグランマンマーレが登場して、「半魚人」という説明をするくだりで、またまた違和感を感じた。魚と人間の中間……ということで半魚人なのだが、唐突に出てきたこの言葉が、陳腐に聞こえてしまった。半魚人という言葉も、子供には馴染まない気がする。

 過去の宮崎作品と比べると、「説明」する部分が多かったように思う。
 わかりやすくするための手段だったのかもしれないが、あえて言葉で説明する必要のないものが多く、その説明シーンがなかったとしても絵で見せてしまえば十分だったのではと思う。

 難解になっていることの、もうひとつの理由は、原体験としての「海」が今の都会の子供たちにはないことだろう。
 たとえば、宗介が海岸の岩場に降りたときに、フナムシがゾロゾロと蠢くシーン。映画館で近くにいた人が「気持ち悪い」と小声を出していたが、おそらく子供たちも同じように感じる。というか、海の原体験がない人には、気持ち悪いものなのだ。フナムシはゴキブリの群れのように見えてしまう。
 その気持ち悪さは、街が海に呑みこまれる幻想の世界になると、さらにエスカレートする。古代魚やさまざまな海の生き物が、彼らの周囲にウヨウヨといるシーンは、「恐い」シーンにもなっている。
 「風の谷のナウシカ」での蟲たちのシーンにも似ているが、世界が現実に近い分だけ気持ち悪さが増してしまう。

 海の幻想世界が、楽しい世界にはなっていなかった。

 それは意図したことなのかもしれないが、美しく描かれていながら、恐い世界でもあったのだ。
 試写会で子供たちの反応がなかったことに、監督はショックを受けたそうだが、それもそのはずで、子供たちには原体験として共感できる「海」ではなかったからだろう。

 「となりのトトロ」での田園風景も、原体験があるかどうかで感じ方がまったく違ってしまう。
 私は田舎の出身だし、親父の実家がまさにトトロの世界があるような田園風景だった。だから、トトロの世界には郷愁を感じるし、そこにあるべき「匂い」すら感じられる。母の実家は海の近くだったので、私には海の原体験もある。子供の頃は宗介のように海で遊んでいたから、フナムシなどは見慣れたものだった。
 しかし、妻は東京育ちなので、そうした原体験がない。同じようにトトロが好きであるが、感じている面白さは微妙に異なる。大人ですらそうなのだから、子供にとっては原体験のなさは、まるで異質な世界に接しているのに等しい。
 そのことは「ポニョ」にも当てはまる。

 トトロで田園風景の原体験がなくても面白さを感じられたのは、トトロというキャラクターの存在感そのものだったといってもいい。
 ところが、ポニョにはトトロのようなキャラクターがいなかった。子供たちが接点を持ちうるキーパーソンがいないことが、ポニョに対して子供たちが喜ばない理由の一つにもなっていると思う。

 ポニョは子供たちのための映画というより、かつて子供だった子供心を失っていない大人たちのための映画だろう。

 童話でありながら、童話になりきれなかった映画……

 『崖の上のポニョ』は、そんな映画だと思う。

 ちなみに、私がもっとも好きな宮崎作品は「紅の豚」である(^^)。
紅の豚

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