妻の行動と環境問題対策の未来

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妻の行動と環境問題対策の未来

Adam NovakによるPixabayからの画像

 ここ最近、ブログをまめに更新している(^_^;
 下書き状態のネタは、以前からけっこうあったのだが、途中まで書いて未公開のままお蔵入りしていた。書き出すと長くなってしまうんだよね。もっと軽い内容で書けばいいのだろうけど。
 妻に言われた。
「最近のブログ、難しくてよくわからな~い」
 まぁ、そう言うな(^_^;
 なんでもかんでも、「わかんない」といって質問する妻は、私が何でも知っていると思っている。
「少しは自分で勉強しろよ」というと、
「いや。面倒くさい」と一蹴する。
 結局、私が教えることになるのだ。
 私がいろいろと詳しいのは、日頃から情報のアンテナを張っているからなんだぞ。

 環境問題でも、妻は本質的なことは理解していない。
 ゴミの分別で、私が区分けしている場所を間違うと、
「これはこっちじゃないの。これとこれはこっちで、これはこっちなの!」と私にいう。
 私の住んでいる区は、分別が細かくなっているので、7種類に分けなければいけない。たとえば、プラごみでも、再生可能なプラと汚れが落ちないプラは別になる。空き缶も再生可能な缶と不燃ゴミになるものとがある。とにかく、ややこしいのだ。

 きちんと分別しようとしている妻の姿勢はいいことだが、その根拠となっている環境問題についてはほとんどわかっていない(^_^;
 分別はきちんとしているのに、可燃ゴミで宅急便の宛名の書かれた伝票はそのまま捨てていたりする。ゴミを捨てるのに、個人情報である住所氏名電話番号を明記して捨てるなよ。シュレッダーがあるじゃないか。ひとつのことに夢中になると、それ以外のことに注意が向かなくなってしまうんだよね。ま、それがときにはいい面でもあるのだが(^_^)

 環境問題への取り組みを企業や国民に呼びかけているが、その大部分は省エネ、省資源、節約、削減……といった、我慢や忍耐を要求するものばかりだ。そういう意味では、ネガティブな意識を求められている。

 それが必要なことはわかるが、マイナス指向ばかりを求められていると、人々の意識もマイナスの方向に向いてしまうような気がする。
 環境問題に対する、マスメディアの報道の仕方にも問題があるのかもしれない。
 そんな記事。

もの足りないメディアの温暖化報道 ~「密約説」を唱える前に | WIRED VISION

メディアの役割について理想を言えば、「事実や見解を提供することで、受け手である読者や視聴者に考える材料を提供すること」にあると、私は個人的に考えています。新聞を中心にメディアの社会的影響力は急速に低下しています。ですが、議論を先導する役割にはなれるし、なってほしいと思います。しかし、その役割を温暖化の分野で果たしていません。
(中略)
そして、それは「地球を救え」というスローガンだけではなく、無意味な他人への攻撃ではなく、「あなたの財布にどう響く?」と現実感を持った議論でなければなりません。

 財布にどう響くかというのも重要だが、環境問題に対する様々な取り組みをしていくと、どういう明るい未来が訪れるのか?……といった、ポジティブで具体的なビジョンが乏しい気がする。
 ゴミの分別は、ほぼ強制されていることだから、条件反射的にやっているようなものだ。だが、手間暇をかけて分別することを続けていくと、5年後にはこういう形で成果が現れる……というようなビジョンが見えているだろうか?

 ペットボトルは、ラベルをはがして洗浄し、つぶしてからペットボトル回収日にゴミとして出す。それが再利用されて、環境にやさしいからということを信じて。
 しかし、現実にはペットボトルは資源として中国などに売られているし、再利用される用途も限定的である。たまったペットボトルを、足踏みのペットボトル圧縮器でつぶしてつぶして……せっせと分別しても、どれほど環境がよくなったのかの実感はない。延々とペットボトルをつぶし続けるしかない。その先に、どんな未来があるのか、わからないまま。

 節電でクーラーの温度を高めにして少々暑いのを我慢する。新しいものを買い控えて、古いものを使い続ける。いろんなものを我慢して節約する。
 まるで、かつての社会主義国家のようだ。
 節約することが悪いわけではない。ただ、我慢ばかりを強いることは長続きしないということだ。

 今は我慢の時……その先に、どんな明るい未来が待っているのかのビジョンがない。危機的な未来ばかりが示されるが、明るい未来がなければ我慢を続けることは難しい。

 危機感をあおるばかりではなく、未来に希望があることを示すことも重要なことではないだろうか。それも、抽象論ではなく、具体的に明るい未来だ。我慢、我慢が10年~20年と続けられるとは思えないのだ。

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