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 もはや地球温暖化は既成事実になっている。
 将来のシナリオが書かれ、危機感をあおっている。例年と違う気象現象が起きると「温暖化の影響だ」と結論づけるニュースが大半だ。
 異論を唱えることはタブーになり、温暖化防止のための政策や企業努力がもてはやされる。
 温暖化の科学的根拠というのが、強い説得力を持っているわけだが、それはあくまで「予測」であって、天気予報と大差ないレベルではあるのだ。明日の天気予報はかなりあてになるようにはなったが、来月の予報、1つ先の季節の予報、来年の予報……となると、どんどんあてにならなくなる。
 温暖化の予測は、10年後、100年後の予測だ。それが当たる保証、正確である可能性はわからないのではないだろうか。

 温暖化問題で、その真偽を問いかける記事があった。
bp special ECOマネジメント/リポート
地球温暖化対策の実像/ロンドンからの報告
「神話」か? 「真実」か?[前編]
クラウス・チェコ大統領の叫び

「危機に晒されているのは気候変動ではない、自由である」
(中略)
 クラウス大統領は、「地球温暖化は、自然科学というよりも社会科学の問題であり、地球平均気温のコンマ数℃の変動よりも、むしろ人類とその自由についての問題である」として、次のように主張している。

* 気候の小さな変動は、遠大な制限的対策を必要とするものではない。
* 自由と民主主義への抑圧は避けるべきである。
* 人々の行動に枠をはめるよりも、皆が望むように生きることができるようにしよう。
* 科学を政治的テーマとして扱うことに抵抗し、「科学的合意」という表現に反対しよう。それはいつも、声高な少数派によりもたらされるもので、声なき多数派によるものではない。
* 「環境」について語るのではなく、私たち個人の行動のなかで気を配ろう。
* 人間社会の自然な発展を謙虚に確信しよう。発展の合理性を信頼し、(あえて)阻害したり方向を変えたりしないようにしよう。
* 破滅的な予測に怯えず、それが人間生活への不合理な介入を擁護したり促すことのないようにしよう。

(中略)

同大統領は、米国のマイケル・クライトン氏(SF小説などを多く手がける作家)やリチャード・リンゼン教授(米国マサチューセッツ工科大学、気象学を専攻)など、気候変動に疑問を呈する人々の論拠を挙げ、反抗を試みる。

 クライトン氏「人類が直面しているこの最大の挑戦は、幻想からの現実とプロパガンダからの真実という特徴的な挑戦である」

 リンゼン教授「21世紀初期の発展した世界が、地球平均気温のコンマ数℃の上昇に対してヒステリー的なパニックに陥り、非常に不確実なコンピュータ予測と、ありそうもない推論体系による著しく誇張された基盤のもとに、産業発展の後退を考慮するに到ったことを、将来の世代は呆然と驚くだろう」

 人間の活動が環境に影響を与えていることは間違いない。人口が増え続けているだけでも、食べられるものを食い尽くしてしまうだろうからだ。
 問題なのは、温暖化防止という正義のために、食糧危機を加速させ、発展途上国に発展を阻害する足かせをはめ、排出権取引などというビジネスを成立させていることだ。

 特に二酸化炭素の排出権取引は、欺瞞に満ちたものだろう。
 実態の見えない二酸化炭素を取引するなんて、机上の空論だ。どのくらい排出したか、どのくらい抑制したか、といったことは仮定の計算でしかない。数字を偽装することは、食品偽装よりも簡単だ。確かめようがないのだから。
 そもそも「排出権が余っている」ということ自体が矛盾している。余っている国や企業は、排出許容量の設定が多すぎるということなのだから、余らないように設定すればいい。企業努力で減らしたのなら、「我が社は設定は下げてもいい」と申告すれば済む話。余った分を他に回すということ自体がおかしいように思う。
 余った分をどんどん減らしていけば、総量は減る。逆にオーバーしている国や企業には、ペナルティを課せばいいのではないか。総量を減らさずに、帳尻合わせをするという発想は、温暖化対策の本質を疑うようなことだ。

 卑近な例でいえば、タバコの嫌煙派と喫煙派、それに絡むタスポの問題と類似している。
 多数派となった嫌煙派は、喫煙派に対して容赦ない侮辱や制約を加える。
 それと同じ事が、温暖化問題でも繰り広げられているように思う。

 地球の気候に大きな影響を与える太陽の活動が、昨年から縮小期に入っているという。最大の熱源である太陽からの影響が低下すれば、地球の温度は下がると唱える科学者もいる。
 これからの数年で、寒冷化の兆候が現れるとしたら、世の中はどういう反応をするのだろうか?

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