コンピュータ、ゲーム、最新テクノロジーなどの話題が取り上げられるとき、必ずといっていいほど「現実」と「仮想世界」の境界について語られる。
 現実……リアルと、仮想世界……バーチャルとの境界線。
 そのことは、青少年が起こす事件においても、リアルとバーチャルのことが問題視される。その端的な例が、残酷シーンのあるアニメを放送中止にするといった過剰反応だ。
 しかし、コンピュータ時代以前から、人はバーチャルの世界を娯楽として楽しんできた。、映画といった作品は、そもそもバーチャルだ。人間は仮想世界をリアルにシミュレーションする能力に長けているから、嘘の世界をあたかもリアルであるかのように受け入れられる。
 それは想像力のたまものだった。
 コンピュータによるバーチャルは、想像力が足りなくてもリアルに感じさせてくれるところが、よりバーチャル精度が増したといえる。また、バーチャルとリアルとのタイムラグがきわめて小さい……つまり、リアルタイムに近い形で体感できることが、リアリティになっている。

 しかし、俗に言うリアルとバーチャルの間にある境界線は、どこにあるのだろう?
 以下の記事は参考になるかもしれない。
WIRED VISION / 藤元健太郎の「フロントライン・ビズ」 / 第10回 海外旅行に行かない若者とデジタルコミュニケーション

生きることの意味が自己実現であるとすると、リアルの壁は我々の想像よりもはるかに小さいものなのかも知れない。

 著者の想像する壁がどんなものなのかは書かれていないのでわからないが、壁はそんなに大きいのだろうかと思った。
 そもそもリアルとはなにか?……という問題。
 それに対するバーチャルとはなにか?……という定義。
 ここまではリアルで、ここからはバーチャルという線引きがないと、リアルとバーチャルの区別がつかない。
 グレーゾーンもあるだろうが、そのグレーの幅を定義するにも、対局の両者の定義が必要だ。

 私たちが目で見て触れられる世界がリアル……というのが、一般的な認識ともいえる。がしかし、これは主観的な判断であって、客観的な基準にはならない。
 たとえば、酔っぱらって酩酊状態であれば、幻覚や錯覚も起こるが、当人にとってはそれは体感したリアルでも、他人から見たらそれはリアルではない。
 そもそも世界を認識しているのは「脳」である。
 目で見て、対象物を認識するには、目から入った光の信号を脳に伝達して、脳がなんであるかを判別して、過去の経験から該当する情報をイメージする……という過程を経る。処理時間がかかっているわけで、その時間は、約30分の1秒だという。
 つまり、見ているものは30分の1秒過去の世界なのだ。
 過去を見ていても問題ないのは、そのタイムラグが現実的に微々たるものであることと、脳は経験から予測して次の行動を取ることができるからだ。
 キャッチボールで飛んでくるボールを取れるのは、スピードとコースから捕球点を予測しているから。下手な人は、その予測がうまくできないというわけ。

(この話題は続く)

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