ネットを利用した犯罪が起きるたびに、ネットの取り締まりや悪質なサイトの存在をなんとかしろ……という論調が出てくる。
 以下の社説もそのひとつ。
asahi.com:朝日新聞社説/女性殺害―闇の職安を放置できない(2007年08月29日(水曜日)付)

 現実の世の中では、交番の警察官が地域を巡回し、犯罪の疑いがあれば職務質問もする。そんな防犯の手立てを、ネット上でもこれまで以上に考える必要がある。違法な書き込みがないか。事件のきっかけになっていないか。そうしたチェックの方法を工夫して強めていくことが、犯罪への抑止力になるはずだ。

 地域の防犯には、住民の目も欠かせない。ネット上にも、法に触れる内容や有害な情報を見つけた時に通報できる民間の窓口がある。こうした窓口の存在をもっと広く知らせる必要もある。

 インターネットは便利な一方で、危うさをはらむ道具だ。犯罪の温床にしないために、知恵をしぼっていきたい。

 取り上げられている事件は、残酷で無惨だ。
 だが、ネットがあるから犯罪者が生まれたわけではなく、犯罪者がネットを利用してるのが実態だ。
 似たようなことは、、ゲーム、コンピュータなどでも言われてきた。
 なにがしか関連があると、犯人探しを始めるのだ。○○が原因だ、○○の影響だ……というふうに。

 記事の最後の一文。
「インターネットは便利な一方で、危うさをはらむ道具だ。」
 というのを、別の言葉に置き換えてみるといい。たとえば、一頃、金属バットが犯罪によく使われた。
「金属バットは便利な一方で、危うさをはらむ道具だ。」
 なんなら、よく殺人事件に使われる包丁でもいい。
「包丁は便利な一方で、危うさをはらむ道具だ。」
 だが、道具に使われたからといって、金属バットが禁止されたり、包丁を買うのに規制をもうけたりはしていない。
 ネットが道具だというのなら、犯罪に使われる他の道具と同じ事ではないのか?

 問題は、ネットが先ではなく、犯罪者の発生が先なのだ。
 人は生まれたときから犯罪者になるわけではない。子どもから大人への成長の過程で、犯罪者に、あるいは犯罪者予備軍になってしまう者がごく少数現れる。
 大部分の人たちは、ネットを利用しても、犯罪に走ることはないし、怪しいサイトや危険なサイトには近づかない。良識と危機回避能力があるからだ。
 どう育ったか、どう育てられたかの問題だ。
 つまりは、教育の問題でもあると思う。

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