デモや議会妨害は民主主義じゃないだろ

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 安保法制を巡って、反対派のデモや野党議員による議会の妨害が続いている。
 反対派の言い分も部分的にはわからないでもないが、デモや議会妨害で国の政策が変えられるとしたら、それはもはや民主主義ではない。
 デモに参加している人は、たかだか数万人だ。主催者発表と警視庁発表では、桁が違う数字になっているが、数万人が国民すべてを代弁しているわけではない。ごく少数派の強硬意見を通そうとすることの、どこが民主主義なんだ?

民主主義って何だ!:日経ビジネスオンライン

 「民主主義ってなんだ!」
 「これだ!」
 「民主主義ってなんだ!」
 「これだ!」

 国会をぐるりと囲むように配置された何台もの拡声器からサンバのリズムに乗ったコールが流れる。

(中略)

 「政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個人であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください」

 最後の発言には、それまで奥田さんの発言に拍手を送っていた野党議員も下を向いてしまった。かなり頭のいい青年である。

(中略)

 「今回の安保法制は土台になっている国際認識が間違っているんですね。ホルムズ海峡に機雷が捲かれるなんて、20年前の国際認識です」

 いいことをおっしゃっているのだが、残念ながら群衆はスマホをいじったり、隣の人としゃべったり、話を聞いていない。高揚したがっている人々の前で知的な話をするのは難しい。求められているのは扇情的なワンフレーズだ。

(中略)

 民主主義を奉じるなら、自国の総理大臣を「安倍」と呼び捨てするのはよろしくない。なぜなら彼は民が選んだ代表だからである。自分が選んだ代表を貶めるのは、自らを貶めるのと同じだ。

 代表を選ぶプロセスがフェアでなかった。選挙の時、こんな法案が出てくるとは思わなかった。そう言う奥田さんの主張は分かる。だがそれでも代表は代表なのだ。黙って従えというのではない。言いたいことは言うべきだが、相手への敬意を失った言葉は軽い。

 記事の内容には、ほぼ同意。
 反対派の彼らの行動や言動を見ていて思うのは、短絡的で幼稚だということ。政治や国際情勢は、白黒がはっきりできるほど単純ではない。政府側の説明も稚拙なのだが、例として想定される事態のシミュレーションもバカバカしいほどに妄想的だ。ホルムズ海峡がどうとか、後方支援がどうとか、自衛隊員の安全がどうとか、過去の事例をいまさら持ち出してもあまり意味はない。これから先の未来になにが起こるかなんて、誰にも予想がつかない。予想できないことを想定などできるはずもなく、なにか起こったときには、後手に回ってなにもできないことの方が多い。

 予想することは難しいが、対応できる準備はしておく。それが安保法制の目的だろう。その内容については、議論の余地はあるが、ガチガチに縛られている状況は緩和した方がいいとは思う。そのことが、すなわち戦争を可能にするものとは思わない。武装した集団に取り囲まれたとき、丸腰で防戦することほど頼りないことはない。ブルース・リーのように拳法の達人ではないのだから。

 シュプレヒコールで「民主主義」が連呼されるが、それは正しくない。正しくは「議会制民主主義」だ。選挙で選ばれた議員によって、国の方針を決めていく。デモによって決めていくのではない。
 議会制民主主義であると同時に、政党政治でもある。多数派の政党が、優位に政治を行っていくシステムなのだ。民主党が政権を取っていたときには、強行採決の連発で、好き勝手やっていたではないか。それが日本の政治システムの現状なのだ。
 数は力なり。
 良くも悪くも、多数決によってものごとは決められる。全員一致などというのは不可能である。
 いいシステムとはいえないが、逆にいえば、反対派が議員の過半数を占めれば、決定を覆すことも可能だということだ。デモなんかやってないで、次の選挙に向けて、反対派議員を多数当選させることこそが、自分たちの主張を通す最善の道だ。

 自民党の強行採決を批判するが、それを可能にしているのは野党が少数政党で分裂しているからでもある。野党各党それぞれの主義主張は大同小異で、ひとつにまとまれないのは各党のエゴでしかない。国民の利益を第一に考えれば一致団結できるはずだが、各党は各党の利益しか考えていない。アメリカ的な2大政党がいいかどうかはともかく、自民党に対抗できるもうひとつの党にまとまらなければ、弱小政党にはなにもできない。
 反対派が矛先を向けるべきは、野党ではないのか?
 政権交代可能な野党であれば、法律は変更可能なのだ。

 SEALDsが今後過激さを増していくようだと、かつての全共闘的な存在になっていくのではと危惧する。
 Wikipediaの「全共闘」の一節に、以下の一文がある。

全学共闘会議 – Wikipedia

連中はゲバ棒を持ちたいから持っているんだ、ゲバ棒を振り廻すこと自体によろこびを感じているんだという気がした。

 これをSEALDsの抗議行動に置き換えると……

「連中はデモで興奮したいからやっているんだ、デモでシュプレヒコールをあげること自体によろこびを感じているんだという気がする」

 60年安保、70年安保の時代。私はまだ子供だったが、テレビに映し出される学生達と機動隊の衝突を見ていて、「面白い」と思った。機動隊は放水し、学生達は火焔瓶を投げる。その攻防に興奮した。政治的なことは理解できなくても、面白い光景に見えたのだ。
 SEALDsのデモにも、似たような空気がある。
 デモをする自由はあるが、デモは実力行使でもある。行動による意思表示であると同時に、自分たちの主張に同調しない人たちに対する圧力をかけることにもなる。賛成派の人たちはあまり表だって行動はしていなかったが、もし、反対派と賛成派が対峙したら、罵り合いや暴力沙汰に発展する可能性もある。一歩間違えると、非暴力のデモが暴動になるリスクをはらんでいる。烏合の衆であるデモ参加者たちを、SEALDsの奥田氏が統制できているはずもなく、高揚感で叫んでいるデモ隊が暴走することは止められないだろう。
 横浜の公聴会周辺では、道路を封鎖する人まで現れたが、デモ隊を迷惑に感じていた一般市民もいたはずだ。会場となった新横浜プリンスホテルは、新横浜駅の近くであり、商店街でもある。近隣の住民や商店・会社にとっては、いい迷惑だろう。だが、デモ隊はそんなことにはおかまいなしだ。
 それのどこが民主主義なんだ?
 反対しない人たちの民意は無視するのか?

 反対派の人たちは、政府・与党が民意に耳を貸さないというが、同様に、反対派の人たちは賛成派の人たちの声を聞こうとはしていない。
 どっちもどっち。
 全員反対ではないし、全員賛成でもない。意見や主張の歩みよりができればいいが、反対派は全否定なので、歩みよる余地がない。そうなったとき、どうやって決着をつけるかといえば、「多数決」なのだ。

 議会制民主主義の場合、多数派を占める政党の主張が通る。先の選挙で、国民は自民党に多く投票した。その結果が自民党政権だ。現在の政党支持率でも、自民党が多数派(約2~3割)になっている。野党の支持率は極めて低い。野党を全部足しても、自民党の半分しかない。ただし、支持政党なしが6割を超える。

 3割くらいの支持率で、民意を反映しているとは言い難いとしても、それが議会制民主主義だ。
 政治を変えたいと思ったら、支持率が3割になる政党を作るしかない。デモで気勢をあげる時間と労力が無駄とはいわないまでも、効果的ではない。主催者発表の12万人が集まっているのなら、12万人で新しい政党を作ればいい。自民党の党員数は約78万人、民主党が約23.3万人、維新の党が約7300人となっている(2014年末現在)。12万人の党員なら、いきなり第3党の勢力になる。東京に集まったのが12万人なら、全国では100万人くらい集まるだろう。自民党越えは楽勝だ。反対派が国民の大多数の総意ならね。

 しかし、それは妄想の空論だ。
 前述の記事にもあるように、騒ぎたいだけの人も少なくないだろうし、野次馬的に参加している人もいるだろう。「国民の声」といいつつも、デモ参加者の動機は人それぞれで、連帯感も一時的なものでしかない。「SEALDs党を結成するから、党員として参加して欲しい」といったら、尻込みする人も多いように思う。文句はいうけれども、政治に深くは関わりたくないと思うのではないか?

 議会運営として、野党議員が出席していなくても採決できるようになっているのだから、強行採決が悪いということにはならない。それをいうのなら、採決の条件として議員の9割以上が出席してない限り採決はできないというルールを作るしかない。民主党は再びの政権交代に意欲を持っているようだが、もしそうなったら、ぜひ強行採決できないルールを作って欲しい。ただ、そうなると採決できない事態が頻発するとは思うが。

 安保法制を廃案にする方法は、2つしかない。

(1)政権交代をして、法律を廃案にする。
(2)クーデターを起こして、政権を掌握する。

 発展途上国でクーデターがよく起こるのは、より簡単な方法だからだ。民主的な政権交代は、時間はかかるし労力もかかる困難な方法だ。
 さて、SEALDsの諸君はどうする?

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