「PCはなくならない」という発想自体が自滅的

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 リスタートした「VAIO」については、賛否いろいろな記事が出ていた。
 関取社長の記者会見を読むと、明るい見通しは感じないなー、というのが率直な感想。

勝色で勝つ:PCはなくならない。240人で作る“本当のVAIO”の形――関取社長の記者会見・全文書き起こし – ITmedia PC USER

私はPCはなくならないだろうという強い信念を持っています。昔、私はWALKMANを担当していました。テープはなくなりましたけれども、今テープを使う人はまずいないと思いますが、PCはなくならない。PCは必要な道具であるという信念を持っています。

VAIO

 いやいや、「PCはなくならない」という発想自体が、未来を見ていないと思う。
 例として、カセットテープ時代のWALKMANを出していながら、その結論に達するのがわからない。
 逆ならわかるよ。
「WALKMAN時代のテープはなくなった。PCもいずれ必要なくなるから、われわれはPCがなくなる未来の新しいイノベーションを起こす」
 そう考えるのが、先見性ではないだろうか?

 時間的なスケールはともかく、個別に保有するPCというのは、なくなる方向に向かうのが必然。クラウドが進化する形で、個人が手にするのは入力と出力のデバイスで、処理や計算はどこかに置かれたクラウドなりスパコンなりで行うようになる。単純化するなら、キーボードとディスプレイだけの端末で、コンピュータ本体は通信でつながるようなもの。
 未来は、そっちに向かっている。

 スローガンとして、「自由だ。変えよう。」と掲げているのに、ぜんぜん自由じゃないし、変えようともしていない。その意味は、ソニーからの制約が解けたという自由なのだろうし、変われるという願望なのだろう。
 深読みすると、それまではいかに不自由だったかの告白だとも受け取れる。口うるさい親元を離れて、ひとり暮らしを始めた青年のようだ。だが、ひとりで生活を始めると、いろいろと新たな問題にぶつかるものだ。そして、「親元で生活しているときの方が楽だった」などと愚痴ったりする。
 「やっぱり、実家に帰ろう」……と、ならなければよいのだが。

 二つ目は制約に縛られないこと。小さなメーカーだからこそ、しがらみや思い込みや固定観念、PCの固定観念、ビジネスの固定観念に左右されないようにリセットしてやっていきたいと思っています。

 あの~、「PCはなくならない」という固定観念を設定してるじゃないか(笑)。
 自己矛盾だよ。
 発表された製品は、Sonyのロゴがなくなって、VAIOのロゴだけが残った……という印象しか感じなかった。
 リスタートしたばかりで、過大な期待をするのは酷ではあるが、Windowsマシンである限り、その他大勢の他社メーカーとの差別化は難しい。最近のPCは、安い機種でも高い機種でも、それほど大きな差はない。10年前、20年前だと、スペックの差は大きかったが、今では「動けばいい」「使えればいい」ものになっている。

 さて、ここまでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、スライドにいくつかの色を使っています。ここで、VAIO株式会社のコーポレートカラーを紹介させていただきたいと思います。

 この色にはこれまでお話ししてきた本質+αという考え方、我々のフィロソフィーを凝縮させております。本質は理性の青と言い換えることができます。そして+αは、感性の紫と言い換えることができると思います。もともと、VAIOの原点のカラーが紫でした。

 イメージとしてはわからないでもないが、そこまで紫にこだわるのなら、PCのボディカラーも紫にするくらいの大胆さがあればと思う。
 そこまでやるのが、「自由」であり「変化」なのではないだろうか?
 機能や性能は、OSやCPUなどに制約されているわけで、心臓と頭脳を供給メーカーに依存している状態では、できることには限度がある。
 残された独自性は、せいぜい「デザイン」くらい。
 それも、基本形は変わらないのだから、ちょっとした違いしか出せない。見た目の印象を大きく変えるのは、「」だったりする。自動車でもカラーバリエーションはあるのだから、PCにもカラーバリエーションはもっとあってもいいと思う。好きな色というのは、個人の自己主張にもなるんだよね。

 手厳しいことを書いたが、VAIOに対する期待でもある。
 「PCはなくならない」ではなく、「PCの次の時代を拓く製品」を目指して欲しいと思う。

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