コンフェデはブラジルの圧倒的な勝利で終えた。

初戦の日本戦では本調子ではなかったにしても、スコアだけ見れば3-0で、決勝戦で負けたスペインと同じ……という見かたもできる(笑)。もっとも、決勝戦での本気度100%のブラジルだったら、日本はもっと大差で負けていただろうが。

批評や論評がいろいろと出てはいるが、これぞ評論の鏡とでもいうべき視点を発言しているのが、以下の記事。

元伊代表・現パルマ監督ドナドーニが日本代表を分析「最も印象に残ったのは岡崎。長谷部は是非とも欲しい選手」 | フットボールチャンネル

コンフェデの日本代表をエキスパートはどう見たのか? 元イタリア代表監督にして現在はパルマで指揮を執るロベルト・ドナドーニ氏に話を聞いた。

(中略)

「それが一国の代表である以上、負ければ厳しく批判されるのは当然のこと。だが、これもまた当然のことながら、批判するには明確な論証というものを欠くわけにはいかないはずだ。つまり、采配に問題ありというのは誰にだって言える。

しかし、これはおそらく世界中の国々に共通するのだろうが、多くの場合においてメディアあるいは評論家というものは単に批判するだけに終わってしまう」

(中略)

「要するに、“あの選手交代はあり得ない”と書くのならば、“AではなくBの選手を入れるべきであった。しかもそのタイミングは○○分ではなく、●●分に行われるべきだった。なぜなら…”というように、あくまでも具体的な案を示すべきだが、残念ながらそういう正しい批評というものは余りにも少ない。

100%同意!(笑)
ここまで分析・論証しているサッカー評論家やジャーナリストは少ない。監督を代えろとか、采配がダメだとか、あれがだめこれがだめ……と批判はすれど、ロジカルな分析がない。

ファンや観客がブーイングするのは、不満に対する感情表現だからいい。
しかし、専門家として記事を書くことで飯を食ってる人たちは、もっと専門的に分析・論証すべきである。それがなかったら、一般のサッカーファンと変わらない。

このことについては、過去記事にも書いたが……

【サッカー】結果論の批判はいくらでもできる
【サッカー】コンフェデ全敗をどう見るか?

……というように、専門家ならではの分析や対案が出てこない。
結果論から、監督がダメだ、采配がダメだ……では、一般のサッカーファンにだって書ける。サッカー評論家やジャーナリストは、選手や監督にじかに話を聞けるような立場にいるのだし、ブラジルまで取材にも行けるわけだ。ただのファンにはできない取材から、ただのファンには踏み込めない分析ができるのではないか?
そうした専門家ならではの論証をしてほしいものだ。

だが、そこまで書ける人は少ない。取材力がないのか、文章力がないのか、分析能力がないのか……おそらく全部が足りない。

テレビで観戦して、一サッカーファンの私でも書けるような記事では、意味がない。そんなありきたりの記事を読みたいのではない。「なるほど」と納得できるような、説得力のある記事を読みたいのだ。コンフェデ関連の記事は数十本くらい読んだが、納得の記事は1~2本だった。

「○○がダメだ」と批判するだけの記事は、ファンでも書ける感想文みたいなもの。
専門家ならば、感想だけではなく論証が必要だ。論証するには、より多くの情報や経験にもとづいて、いくつかの点と点を結んで、有意な結論を導き出す能力が問われる。
そして、その結論がどれだけ批判に堪えうるかの説得力があるかどうか。

ある専門家は、海外に比べて日本のメディアに批評能力が乏しいといっていたが、その発言をした人自身も、「ダメだ」と批判はするものの論証能力が乏しいという皮肉。ドナドーニ監督のような視点や論点には、遠く及ばない。

これはサッカーに限ったことではなくて、他の分野にもいえること。

たとえば、政治の世界ではアベノミクスに批判的な意見をいう野党ばかりだが、より優れた対案を出している野党はいない。対案らしきものはあっても、実現可能かどうかの説得力が乏しい。野党に転落した民主党は、いまさらながらにいろいろと批判するのだが、それができるのなら、なぜ政権を取ってるときに実行しなかったんだよ?……と思ってしまう。

サッカー評論家やジャーナリストは、“プロ”なんだから、プロらしい仕事をしなさい……ということだ(笑)。
感想ではなく分析、批判だけではなく論証、ファン視線ではなくプロ視線で、「なるほど」と感心できる記事を期待する。

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