新聞を定期購読しなくなって久しい。
 ネット上には、無料のニュースがあふれている。
 実際には接続料の固定費はかかっているものの、コンテンツそのものは無料だ。有料のコンテンツもあるものの、日本では収益性はあまり高くないようだ。
 「ニューズウィークが電子版のみになる」といった動きもあるが、ニュース提供社はいかにして収益を上げるか苦労しているようだ。
 無料のニュースが及ぼす、将来の影響について危惧する記事が以下。

情報の未来・メディアの行方:ニュースは無料ですか? 「情報のプロ」独占崩壊 (1/2) – ITmedia ニュース

日々のニュースは無料で読む。

(中略)

 「ネット企業が情報流通の中心に座った結果、既存メディアがニュースを再生産することが難しくなっている。このままではニュースは滅びるのではないか」

 新聞社などが運営するニュースサイトの多くは無料で記事を読むことができる。一方、報道機関がポータルサイトなどへ配信するニュースも、読者は無料で閲覧できる。両者ともサイトでの広告料で収益を上げようとするモデルだ。

(中略)

 椎名さんは「記者は長い時間をかけて取材相手と人間関係を作り、夜回りもして情報を得る。人材育成や取材経費など多額のコストがかかっている。この程度の記事提供料では、とてもまかなえない。貧すれば鈍するで記事は劣化していく」と指摘し、こう続けた。

 かれこれ20数年くらい前から、ニュースはディスプレイ上で読んでいる。20数年前といえば、パソコン通信の全盛時代だ。使っていたパソコンはPC98、OSがMS-DOSで、モデムの通信速度が1200bbsから始まり、1~2年ごとに倍々にスピードは速くなった。それでも現在に比べれば、カメのようなスピード。基本、テキストだけの世界だったので、それでも間に合っていた。
 パソコン通信でも、ニュースの配信サービスがあり、特定のキーワードを設定しておけば、キーワードに引っかかったニュースを配信してくれた。おかげで、関心のあるニュースを見逃すことが少なくなった。画像はなかったが、画像が必要なニュースの場合には、それが載っている新聞や雑誌をそのときだけ買った。
 そうなると、新聞を定期購読する必要性は感じなくなった。

 無料ニュースがあふれていて、ニュース提供社や記者の将来を憂うのはわかるのだが、そもそも無料で配信しているのはニュース提供社自身である。ポータルサイトには、それなりの提供料を取って配信していても、安売りしているということだろう。
 つまり、墓穴を掘っているのは自分自身だということ。

 値段の高かったものが安くなったら、売上げ増になるかもしれないが、無料で始めたものが有料になったら売れにくいというのは自明のこと。
 モノの商品と違って、記事は「質」の良し悪しが端的にわからない。質の良いニュースと、質の悪いニュースの区別はつけにくく、品質の優劣を決めるのは、ニュース提供社(者)のブランド力になってしまう。

 無料ニュースではコストを回収できない……というのであれば、無料配信をやめればいい。
 ネットには一切ニュースを配信せず、新聞や雑誌、テレビだけでニュースを売る。
 ネット上から、ニュース記事がなくなったらどうだろう?
 もはや考えられない状況ではあるが、仮にそういう状況になったとしたら、ニュースを求める人は新聞やテレビのニュースに頼るしかなくなる。
 極論だが、新聞社やテレビ局がネットへのニュース配信を断絶するというのは、荒治療としての方法のひとつだ。

 ……と、それができないのは、もはやネットなしでは立ちゆかなくなっているからだ。
 スピードと拡散力では、新聞や雑誌の物理媒体では追いつかない時代になってしまった。半日遅れ、あるいは1週間遅れの情報では、価値が薄れてしまう。
 「今」起こった事件や出来事のニュースは、数分後から遅くとも数時間後にはネットに流れる。時間の経過とともに、ニュースの価値は下がる。
 しっかりとした検証記事も必要ではあるが、検証できるだけの情報を集めるには時間がかかる。記事が完成した頃には、読者の関心が薄れてしまうかもしれない。
 速報性だけがニュースの使命ではないものの、速報性を求められるのも事実である。

 無料ニュースばかりが、ニュース提供社の収益を圧迫しているのではないだろう。
 ある注目される事件や事故が起きたときに、マスメディアがこぞって報道するが、各社そろい踏みで記事の中身に大差はなく、1社が誤報をすると連鎖して他社も誤報するという体たらく。ときに報道の自由を振りかざすが、偏向報道のような記事も散見される。
 マスコミでは報道されないことが、私的なブログなどで暴露されることもあり、報道の中立性を疑うようなこともある。
 ことに政治や経済に関する報道では、マスコミは政府や行政を叩くことばかりに熱心になっているようにも見受けられる。批判することは必要ではあるのだが、首相や大臣の揚げ足取りばかりやっているようにも見える。
 「今の政権はだめだ」「その政策ではだめだ」「不景気でだめだ」「その人事はだめだ」……などと、「だめだ」「だめだ」と連呼するから、なにもかもだめに思えてくる。ある種の洗脳にも似た、世論の誘導ではないだろうか?
 なまじ影響力があると過信しているから、マスコミは影響力を行使したがる。
 国を動かしているのは、政府なのかマスコミなのか?……と問いたくなる。
 マスコミがマスゴミと揶揄されるのは、メディアとしての底や思惑が透けて見えるからだ。批判する側に立つ場合は権威や正義感を盾にするが、批判される立場に立つと無視するか弁解するか、あるいは逆ギレする。身内の不祥事に甘いのは、マスコミも同様だ。

 「ニュースが無料ではやっていけない」のであれば、有料にすればよい。ポータルサイトへの提供料を、採算が取れるようにもっと高くすればよい。
 それだけのこと。
 それでも、ユーザーがニュースを買ってくれるだけの「価値あるニュース」を提供できるのなら。
 問題は、1社だけでそれをやっても、多勢に無勢で太刀打ちできないからだろう。逆に言えば、有料にしても買いたくなるようなニュースサイトの魅力が乏しいからでもある。

 お金を払うだけのニュース記事の価値とはなにか?

 問われているのは、その点だと思う。

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 以下余談。
 私のブログ記事も、無料記事のひとつなのだろう(笑)。
 BLOGOSに転載されるようになったのは、ある日、BLOGOS編集部から「お誘い」のメールが届いたからだった。
 ブログを書くのは、忘備録であったり、妻のための解説であったりするのだが、書くことが好きな性分として頭の中に渦巻く考えをアウトプットせずにはいられないからだ。
 ときどき、あれこれ考えを巡らせていると、床に入っても眠れないことがある。眠れないから、起き出してキーボードを叩き始める。文章だけでなく、アイデアを絵にする場合もある。それで徹夜してしまうことも。
 私の記事を読んでくれる人たちが、これをネタにコメント欄で議論できるのなら、それなりの意味はあるのかな……と思う今日この頃。

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