Amazonの「キンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)」を利用して、電子ブックの自家出版を試みている作家さんのインタビュー記事が、事例として参考になるとともに、問題点も浮き彫りにしている。

KDPで電子書籍の稲穂は実ったか (1/3) – ITmedia eBook USER

―― リーダー端末ごと消えちゃう電子書店も多いですしね。

みそ 端末もいろいろ出ましたが、やっぱり初期はまだこなれてなかったり、いろいろあるわけですよ。でもだんだん性能が良くなって、画像もきれいになってっていうときに、国内の電子書店だと、その辺りを細かくバージョンアップしてくれるの? とか、データを買い直さずに対応してくれるの? とか、不安が多いんですよね。何より5年後にそのもの自体が「なかったこと」になってるかもしれない。

―― そこでKindleストアを選択したと。

みそ そうです。Kindleなら、端末は持っていないけどアプリを持っている人も読めるし。iPadやiPad miniで読むとものすごく読みやすい。何より販売場所として“固い”ですよね。数年後になくなるってことはないだろうし、購入決済も今までにAmazonを利用したことがある人なら、すぐにできる。データのアップグレードも対応できますしね。

(中略)

―― 出版社の中でも整合性は取れてないですね(笑) データに抜けがあったりはしょっちゅうですし。ちょっと古いとQuarkとか使ってますから、今のMacだと当時のソフト自体が走らなかったりします。もっともデータ自体を持ってない出版社も多いですが。

みそ 著作隣接権うんぬんより、その辺りをちゃんとしてほしいですよね(笑)

 電子ブックストアはいろいろとできたが、将来的な継続性を考えると、Amazonが無難な選択だというのには同意だ。
 国内勢には、将来的な不安がつきまとうのが正直なところ。企業としての規模だけではなく、将来的な展望が見えなかったり、過去に同様のサービスを終了したりの前科があるからだ。
 未来永劫継続できる会社などありはしないが、せめて自分が生きている間は存続して欲しいものだ。

 過去記事にも書いたが、Amazonの「KDP」には注目していた。
 売れるかどうかは別問題として、世界に向けて販売できるAmazonで自費出版ができる魅力は大きい。無名の作家がベストセラーになる可能性は低いものの、まったく例がないわけでもない。もっとも、それは英語圏での話なので、世界中の英語ユーザーがターゲットになる。日本語のコンテンツは国内向けが主体になるから、市場規模そのものが小さいために、無名の作家が脚光を浴びる可能性はさらに低くなる。
 それでも可能性はゼロではない。
 誰かがゼロではない可能性をブレークしたら、電子ブック新時代になるのかもしれない。

 近年、電子ブック化が遅々として進まなかった日本の出版界だが、DTPによるデジタル制作は10年以上前から行われていた。
 私がMacintoshを使い始めたのは1993年頃からで、Performa 520が最初だった。この非力なマシンでDTPを始めた。非力といっても、現在と比べればの話で、当時としては十分なスペックだった。
 上記の記事中にも出てくる、DTPソフトのQuarkXPressのバージョン3.1を使っていた。
 その頃は、制作はデジタルだが、印刷するためにはアナログ出力する必要があった。印刷工程はデジタル化されておらず、紙焼き(印画紙)やフィルムとして出力する必要があったのだ。それでも写植や製版が不要で、画面上ですべてを完結できる分だけ、人手もコストも削減できた。写植代だけでも、けっこうなコストがかかっていたのだ。

 1993年当時は、DTPをやる人は極めて少なく、出版社もDTPには対応していないところがほとんどだった。依然として手作業のアナログが全盛だった。
 だが、遠からずデジタルに移行することは明白だった。
 私はフリーランスで仕事をしていたのだが、つきあいのあった出版社の担当者に、「これからはDTPですよ」と、ことあるごとにいったものだ。しかし、出版社の反応は鈍かった。積極的にDTPを導入するところは少なかった。パソコン音痴も多かったからだ。

 大手の出版社の動きが鈍かったので、小さな出版社から請け負った仕事で出す本の、完全デジタル化出版を提案したりした。通常であれば、デザイン、版下制作、写植、製版と行程ごとにスタッフが必要だったのだが、すべてを私ひとりのDTPでやり、あとは印刷するだけという状況にした。行程の中抜きをすることで、コストは3分の1くらいになった。今では当たり前のことを、17~18年前にやった。
 比較的DTPの導入が早かったのは、ゲーム関係雑誌だった。ファミ通ともつきあいがあったのだが、業界でDTP化が一番早かったのはファミ通だと思う。

 販売コンテンツとしての電子ブック化が見え始めたのは、1999年のシャープのザウルス文庫だとされるが、限定的なものに留まり、広く普及するには至らなかった。
 紙の本が、電子ブックに取って代わられると予想する人は、少数派だった時代だ。
 だが、紙の本の制作現場では、デジタル化が着々と進んでいた。デジタル化といっても、最終的には紙の本にするので、印刷にかける前までの段階のデジタル化だ。電子ブックを見据えてのデジタル化ではなかった。
 先を見通せる出版界のジョブズ氏のような人がいれば、データ化された「本のもと」をのちのちに活かせるように蓄積できていたかもしれない。その蓄積が適切に管理されていれば、電子化はもっと容易だったはずなのだ。
 せっかくDTPで制作していたのに、出版社はそのデータを保持して管理しようとせず、使い捨てにしてしまった。今になってあわてて電子化に取り組んでいるような状態だ。少なくともここ10年くらいは、大部分の本はDTPによって作られていた。それらの電子化可能な資産があったはずなのだ。
 この傾向は、現在でも残っている。私の勤める会社で作ったDTPデータは、印刷所に渡すと同時に出版元にも渡っているはずだが、重版するときになって「データはありますか?」と、こちらに問い合わせてくる。
 データの管理ができていないのだ。

 出版の現場では、DTP化によってコストはかなり削減されている。コストだけでなく、制作に要する時間も大幅に短縮されている。行程を中抜きすることで、実質的なリストラもやってきた。写植、版下、製版といった職人の多くは、DTPによって職を失っていった。DTPのためのパソコン(ほとんどMacintosh)やソフトへの設備投資は必要だったが、人件費よりは安上がりだ。にもかかわらず、本の価格は下がるどころか上がってきた。
 どこかに無駄がある。というより、どこかから利益が吸い上げられていたというべきかもしれない。出版市場が縮小傾向にあっても、それなりに売上げを確保していたのは、DTP化によるコスト削減が相殺していたのだともいえる。

 出版社が果たす役割というのもあるのは確かだが、作家を発掘して育て、作品の完成度を上げるといった機能は、最近は必ずしもうまく機能しているとはいえなくなっているように思う。
 作家への近道は、新人賞を取って、華々しくデビューすることだが、過去、新人賞を取った人で、その後も第一線で活躍している人は少ない。1つの新人賞で、大賞、優秀賞、佳作などといくつかのランクの賞があるが、3~4人の作家の卵がデビューのチャンスを得る。各社の新人賞を合わせると、年間で100~150人くらいがなんらかの賞をもらっていることになる。
 しかし、賞を取っただけでは専業作家として食っていけるわけではない。賞金は微々たるもので、デビュー作が出版されても印税はわずかだ。競争の世界だから、生き残ったものが成功するではあるが、生活の保障もなく作品を書き続けるのは、そうそう簡単なことではない。
 才能を見いだしたから賞を与えたのだろうが、多くは才能は生かすことなく消えていく。本人の努力が足りなかったのか、出版社の育て方が間違っていたのか……。両方かもしれないが、「作家を発掘して育てる」という出版社の機能は、成功率が低くなっているように思う。

 Amazonの「KDP」が、日本でも成功例を生み出すようになったら、新たな出版の勢力になれるかもしれない。むしろ、そうなった方が、既存の出版社は危機感を持って、作家の発掘と育成の成功率を上げる努力をするようになるのではないか?
 KDPと出版社が競い合うようになることが、出版界の発展や電子ブックの活性化、ひいては面白い作品の登場に寄与するように思う。

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